「曲がった時代から救われる」
2025年6月8日 主日礼拝説教梗概
聖書:使徒の働き2章22~41節
説教:安藤友祥主任牧師
イエス様の昇天後、約束の聖霊が与えられることを待ち望み、祈っていた弟子たち。彼らはこの日、聖霊を受けます。その出来事と共に起こった物音に集まって来た人々に対して語るペテロ。彼は約二か月前にエルサレムで処刑されたイエス様のこと、神様がされたこと、イエス様とは何者か?そしてそのイエス様に人々が何をしたのかを語ります。ナザレのイエスはあなた方も知るように、力あるわざを行った。そのイエスをこともあろうに十字架にかけて殺してしまった。ただ神はイエスを死にとらわれたままにしておかず、よみがえらせ、さらに天で神の右の座に就く。それは神様と同じ権威として天におられるということです。
そのイエスを自分たちがイエスを十字架にかけた。それも事実。変わりません。ですが、このペテロの説教を聞いた後では、イエスを十字架にかけたという事実の意味が大きく変わってきます。神様を冒涜した人物を十字架にかけたはずなのに、実は約束の救い主を殺してしまった。取り返しのつかないことをしてしまったことに気づかされるのです。ただ、イエス様を殺してしまった人々にも救いの道が、救済が残されていることがペテロの口から語られます。彼らはもう回復出来ないのではなく、彼らにも希望はある。そしてそれは破格の希望、恵みと回復が用意されていることをイスラエルの人は知るのです。
ここで悔い改めが強調されます。神様が送ってくださったキリストを受け入れずに拒否し、排除しようとしてしまった。これは大きな罪です。けれども、その取り返しのつかないような罪も、赦される道があるとの言葉を聞くのです。それは第一に「悔い改める」ということ。神様に自分のした罪を言い表し、新しく生き直す、正しい方向に生きるということです。取り返しのつかない、イエス様を十字架にかけるという罪を犯したにもかかわらず、赦しの道が開かれている。悔い改めることも許されている。それだけではなく、そんな自分にさえも聖霊が与えられる約束。一方的な神様からのめぐみが示されます。
イエス様の名によってバプテスマを受けた一人一人は、私たちが名を呼び求めた、主であり、キリストなるイエス様の共同体に加えられています。一人ではなく、イエス様と、イエス様につながっているイエス様の共同体と一緒に曲がった時代をまっすぐに生きていきます。
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