「アヴェ・マリア」

2021年5月16日礼拝説教梗概

聖書:ルカの福音書1章26~38節

説教:住友暁伝道師

今回は、クリスマス降誕劇でもお馴染みのマリアの受胎告知の場面です。古来、「おめでとう恵まれた方。主があなたとともにおられます」という御使いガブリエルの声かけに由来する、「アヴェ・マリア」をタイトルとして多くの楽曲が作られてきましたし、またこの情景をモチーフとして、幾つかの静謐なイメージの絵画も描かれました。しかし、実際には、29節にあるようにマリアは、突然入って来て挨拶をする御使いに非常に驚き戸惑いました。一体何の挨拶か、恵みとは何か、マリアは深く考え込みました。「恵み」と訳されたギリシャ語「カリス」は、神から一方的に与えられる恵み・好意を意味します。マリアはナザレという片田舎に住む12才~14才くらいの少女で、ヨセフと婚約中の身でした。そのマリアに、ガブリエルは、神の一方的な恵みは、「主がともにおられる」ことであり、更に、神の一方的な好意を受けたので息子を産むことになったのだと伝えます。そして、息子は「いと高き方」=「神」の子であり、彼こそが預言されていたメシヤであり、その王国支配は永遠だと語りました。とても凄いことなのですが、未婚のマリアにとって妊娠は常識的に考えられないので、何か備える必要があるかもしれませんので、「どのようにして」と、そのプロセスを知ろうとして質問をしました。この点は不信仰から質問した結果言葉を失うという試練のしるしを与えられたザカリヤと動機が異なります。35節で、イエス様は神の子で、天地創造と同様に、聖霊と全能なる神の力によって生まれると三位一体の神が啓示されます。御使いは、「神にとって不可能なことは何もない」と宣言します。未婚の母になること、もしかしたら婚約者ヨセフに離縁されるかもしれないこと等、様々な不安を乗り越えて、マリアは、「私は主のはしため(女奴隷)です。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」と信仰をもって答えます。私たちもこのマリアの信仰に倣いたいと願わされます。自分の目的のために物事を曲げることなく、主の手に委ねきる信仰をもって、神のみこころ、ご計画に応答してまいりましょう。

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