「必要を満たすイエス」

2023年5月28日主日礼拝説教梗概

使徒の働き3章1~16節

説教:安藤友祥主任牧師

 この箇所にはペンテコステ(聖霊降臨)によってもたらされたものが書かれています。生まれつき足が不自由な男性が出てきます。彼は施しを求めてペテロとヨハネに声を掛けました。自分に必要なものは金銀だと彼は考えていました。声をかけたペテロ達に金銀はありませんでした。けれども、代わりに金銀以上のものを彼は結果として受けることになります。彼はイエス様の名による奇跡によって歩けるようになり、礼拝への回復を経験します。イザヤ書35:6の成就がここに現わされます。

 ここには、イエス様の力で人に奉仕し、導くことが書かれています。そしてペテロたちの宣教の目的は、癒すことではなく、その先の神様の共同体に加わり礼拝者へと変えられることです。事実、この足が不自由だった人は神様を礼拝しています。

 この人の癒しの出来事は、民衆が無視できない出来事になっています。言い換えるならば、そこで起こったイエス様の力を無視できないという事です。イエス様には確かに力があると、イエス様の名には確かに力があると認めざるを得ない出来事が、この時、誰の目にも明らかな形で行われました。

 ここにあるのはペンテコステによって起こった事。礼拝への招きの出来事、礼拝への回復とも言えます。そしてその聖霊を送ったのはイエス様。礼拝への回復は、イエス様と無関係の出来事では無いという事です。旧約時代において、礼拝にふさわしくないと礼拝から締め出されていた人たちがいます。ですが、彼らがイエス様の名によって礼拝に招かれていきます。

 また、求めていたものと違うものが与えられる出来事が書かれています。そして、そこには神様からの最善が与えられている出来事の一つを私たちは見ます。足が不自由なこの人物にとって、必要だと考えていたものは金銀でした。彼にとって、神殿は礼拝する場所ではなく、お金をもらう場所だったと言えます。言い換えるならば、神様ではないものを求めて、ここにいる人物。ただ今日の御言葉を聞くときに、神様がその人に本当に必要なものを知っておられ、与えられる神様。礼拝者への回復のために働かれるイエス様の姿を私たちは見るのです。私たちが必要だと思うものはたくさんあります。ですが、神様が私たちに考える本当に必要なものは、神様との出会い。罪の赦し。関係の回復。礼拝への回復です。

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