「たわごとか?よいしらせか?」

2023年4月9日主日礼拝説教梗概

ルカの福音書 24章1~12節

説教:安藤友祥主任牧師

 安息日が明けて、彼女たちは空になった墓を目撃します。途方に暮れている彼女たちのもとに、御使いが訪れ問いかけます。「どうして生きている方を死人の中に探すのか?」この問いは本質的です。なぜ、死人の中に探すのか?今も生きておられる方を、なぜ死人の中にさがしているのか?イエス様が死んでいるとは思われてはいけないのです。

 御使いは伝えます。主はよみがえられたという事。そしてイエス様が以前言っていた言葉を思い出しなさいと。女性たちは確かに聞いていた。けれども、み使いに言われるまで忘れてしまっていたのです。女性たちは、このみ使いからの言葉を聞いて、イエス様の言葉を思い出したのです。そこにはみ使いの言葉という、神様からの介入がありました。大切なことを思い出し、顔を上げ、墓から出ていくのです。何をするためか?自分たちが知らされた喜びの教え。イエス様はよみがえられたという事。イエス様の約束の成就を知らせに行くのです。

 女性たちから話を聞く弟子たち。けれども誰も信じようとしません。ここまで信じない弟子たちの姿があるからこそ、イエス様の復活の真実さが伝わってくるのです。徹底的に信じなかった弟子たちが、そのあと、イエス様の復活を宣べ伝える。復活の証人となっていくという事は、弟子たちが、確かにイエス様がよみがえられたと知る。その確信につながる体験をしている証拠です。

 このイエス様の十字架と復活の出来事。それが私たちの救いのため、罪の赦しのための出来事であると信じる時に、その人は救われると。そして、救われた人は、このよみがえられたイエス様が下さる、新しい命で生きる命が始まるのだと教えています。それまでの罪に支配され生きる生き方からの解放を教えます。

 イエス様の復活は、その罪と罪の結果がもたらす死への、完全なる勝利です。イエス様がよみがえられたから、死に打ち勝ってくださったから、私たちもイエス様と同じように、死に打ち勝つ生き方が出来るようになるのです。イエス様をよみがえらせた力が、私たちのうちにも働いていくださるのです。主がよみがえられた。だからこそ、私たちには希望があるのです。その希望を今日、改めて私たちは聞き、その希望に生きることを再確認したいのです。「主はよみがえられた。」これが教会が生きる、宣教の言葉です。

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