「恵みがありますように」

2022年5月1日主日礼拝説教梗概

聖書:エペソ人への手紙6章18~24節

説教:安藤友祥主任牧師

  パウロは教会とは何かを伝えつつ、祈りの重要性を、手紙全体を通して語ってきました。神様に祈る事が出来るのは私達に与えられた特権です。この手紙の中でパウロの祈りの言葉を聞いてきました。私達はパウロの祈りから、このような祈りがあるのだという事を知り、自分たちの祈りへと加えていく体験をします。この地上にあって、キリストの体としてふさわしく歩んでいく。成し遂げるべき事をすることが出来るように祈る祈り。神様を正しく人格的に知り、神様の助けを求める祈りであると言えます。私達もこの歴史の教会が祈って来た祈りに加えられてきます。
 パウロは福音宣教のための祈りの援護を求めました。この時パウロは囚人でした。ですがその中でも宣教への情熱は変わりません。この状況だからこそ出来る宣教の為に祈りを求めました。パウロは、自分が語る福音の内容もそうですが、宣べ伝える言葉自体も与えられるものであると考えています。私達は伝道する時に、何をどのように伝えればよいのかと悩むかもしれません。私達が受けた救いも福音も、神様が与えて下さったものです。同じように神様は求める時に語るべき言葉も備えて下さる方です。福音宣教の主体は神様なのです。
 私達は祈る時すぐに結果が与えられるようにと考えてしまう。しかし、祈りの答え、タイミングは私達都合でなく、神様の主権のうちに行われます。私達は神様をコントロール出来ると勘違いしてはいけません。私達が祈る祈りの結果が、私達が生きている時に見られるとは限りません。神様の永遠の視点で見られていて、祈りも一つ一つ答えが用意されていると言う事をしっかりと覚え、必ず祈りを聞き届けて下さる神様を信頼して祈っていきたいのです。
 すでに恵みを与えられている。イエス様を愛する私達は、もう神様の敵ではない。パウロは一貫して教会への愛と祝福、平安の約束を思い起こさせ、そこに立ち続けるようにと書き送ります。パウロはイエス様を愛し、イエス様が愛されている教会を愛したのです。私達も同じように神様を、教会を愛していきましょう。そのためにイエス様は十字架にかかって下さいました。

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