「イエスとは神か?人か?」

2022年9月11日主日礼拝説教梗概

ヨハネの福音書 1章1~14節

説教:安藤友祥主任牧師

「主イエス・キリストは、父なる神のひとり子であって、聖霊によって宿り、処女マリヤより生まれたまことの神にしてまことの人である。主は我らに代わって十字架にかかり、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者の中からよみがえり、我らのために贖いを成し遂げ、我らに永遠のいのちを与えた。主は天に昇り、父なる神の右の座に着き、大祭司として今も我らのために執り成している。」

 神様は、人間の救いの為に、救い主を与えて下さいました。今日は、私達の救い主であるイエス様に関する信仰告白です。

 イエス様は神様だという事。聖書に目を向ける時に、イエス様は神様である自覚をもって行動しています。罪を赦す権威を持たれ、礼拝されるべき方として聖書はイエス様を伝えます。

 イエス様は人間であるという事。聖書はイエス様が私達と同じ肉体、人間性を持っておられた事を教えます。ただ一つ私達との違いは、イエス様には罪が無かったという事です。

 神様が人となられるとはどういう事でしょうか?この奇跡を「受肉」と言います。神様としての性質を捨てられたのではなく、神様の性質に、人間としての性質を付け加えられました。神でなくなったのではなく、御子である神様のまま人となられたのです。

 神であり人である事とはどういう事でしょうか?カルケドン信条が告白するように、半神半人ではなく100%神様であり、100%人間です。それぞれの性質が混ざる事も変化する事も、分割する事も、分離もしない。神と人、それぞれの人格が存在するのでもなく、一人の人格なのだという事です。

 イエス様が神である事から、私達は神様に対する真の知識を得、イエス様の救いのみわざが確かなものとなり、イエス様を礼拝する事が偶像礼拝になりません。またイエス様が人であるから、イエス様の身代わりの死が私達の罪に関わる事が出来、人ゆえに私たちの弱さに寄り添えます。そしてイエス様を見ることで、本来の人のあり方を知り、人が本来良いものであると知る事が出来ます。何より、神様が人となってくださった。それは神様が私たちへの歩み寄って下さったという事実です。罪を嫌う神様が、人と関わるために、人となって来てくださった。神様と私達との間にある絶望的な溝を超えてやってきてくださった。働きかけてくださった奇跡です。

投稿者プロフィール

setachu
setachu
説教梗概

前の記事

「罪の悲惨さ」
説教梗概

次の記事

「安息日の主」