「聖礼典と戒規」

2023年3月5日主日礼拝説教梗概

マタイの福音書 28章18~20節

説教:安藤友祥主任牧師

「教会は、聖霊によって召し出された神の民、主イエス・キリストをかしらとするからだであり、羊飼いなる主の御声にのみ聴き従う羊の群れである。地上の教会は、再び来られる主を待ち望みつつ礼拝し、みことばを説教し、聖礼典を執行し、戒規を重んじ、聖霊の力によって全世界に福音を宣べ伝える。」

 宗教改革期「教会が教会であるしるしとは?」と言う問いに「目に見える教会が、教会である事の客観的な前提としては『真のみことばの説教』と『ふさわしい礼典の執行』だ」と確認がされました。プロテスタント教会の聖礼典は、洗礼式と聖餐式です。

 聖礼典は、イエス様が守り行い続けなさいと、教会に命令された儀式です。イエス様は私たち教会の信仰を養い育てるための恵みの手段として聖礼典を定められました。みことばを基礎として私たちは聖礼典を執行します。洗礼は、イエス様と信者との、神秘的な結合と聖霊のみわざに関係し、聖餐はイエス様の血と肉による贖いを現わしています。

 洗礼は信仰を告白した人が受けるものです。ですから、バプテスマを受ける事によって救われるのでもなく、悔い改めが起こされるのでもありません。

 聖餐を受ける時にイエス様の十字架を生々しく思い起こさせて、自分の救われている福音の恵みを身に刻む事が出来るのが聖餐式です。そして「主が来られるまで」とあるように、主の再臨まで途絶えることなく聖餐を捧げる事を望んでおられます。キリストの贖いは途絶える事がない恵みだからです。信仰告白し洗礼を受け、キリストの体である教会に迎えられた人が、受ける恵みに与れます。

 戒規には、異端や背教した人に対する教会の処置としての役割と同時に、訓練としての役割もあります。神様の栄光のため。罪を犯している人を正して兄弟を獲得するため。教会の純潔を保つため。同じ罪を他の人が犯さないようにするため。そして神の裁きを免れるためです。

 戒規と聞くと裁きだったり、罰則としての側面が印象的であり、私たちも裁くためや、取り除くためにそのような発想、発言をするかもしれません。けれども、それはイエス様が求められた戒規の思いではありません。なぜなら戒規は回復のための教会の愛のわざだからです。

参照:Ⅰコリ11:26,Ⅰコリ11:29,マタ18:15~20,Ⅰコリ5:1~5,Ⅱコリ2:5~8,ガラ6:1,マタ18:20

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