「耳の痛い教え」

2022年3月27日主日礼拝説教梗概

聖書:エペソ人への手紙6章1~4節

説教:安藤友祥主任牧師

 パウロは子どもが両親に従う事に関して、3つの理由を書いています。一つ目はそれが正しい事だから。二つ目は十戒において明確に命令されている事だから。三つ目はその十戒の命令には祝福の約束が伴うものだからです。パウロは子ども達に「主にあって」従いなさいと教えました。親に従う事は単純な命令ではなく、神様との関係においてなされる信仰的な出来事です。主に従う者として親に従う。無条件に親が求める事に従うのではなく、信仰の観点で従う。夫婦の関係の時にも言った事ですが、もし親が主に従う事に反することを求めてくるならば、それは主にあって従う事が出来ないという選択に繋がります。
 神様からの命令であり、正しい事であり、祝福の約束もある。それは分かっているけれども、親を敬う事、従う事への困難を覚えてしまうのも事実です。強制して従わせるのではなく、子どもが主にあって自主的に親に従う。神様への応答として、親に従う生き方をパウロは呼びかけます。
 親に対してパウロが言う子どもたちを怒らせてはいけないとはご機嫌を取るというような軽い事ではなく、理不尽な要求や不当な仕打ちをするなという戒めが込められています。では何を教えるのか。親が子に何よりも教えるのは命に至る道です。主を知り、主に喜ばれる道を教えるのです。
 家庭内における親子の関係について、十戒にも書かれているように、親と子の関係は敬う事を命令しなくてはいけないほどに、私たち人間は失敗してしまいます。
 親への虐待も起こってしまう時代の中にあって、私達は本来の親子の姿、神様が祝福された家庭の姿の実現ができるように、私達を救い、聖霊を与えて下さっています。イエス様と神様の関係も父と子の関係です。神様とイエス様の間にある親子の関係、愛の関係、信頼関係を私達も似た者とされる中で歩んでいけるのです。私達には神様の助けが、介入が必要です。神様の助けがあるから、実現するのだという事を私達は覚え祈っていくのです。親も子も、どちらも神様の助けが必要なのだと知り、また自分自身だけでなく相手もそうなのだと互いのために祈る道が用意されています。

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setachu
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