「クリスマスの挑戦」

2021年12月19日クリスマス礼拝説教梗概

聖書:マタイの福音書2章1~12節

説教:安藤友祥主任牧師

 この箇所でヘロデは悪の代表のように描かれているのですが、ヘロデだけが悪ではないのです。彼が持つ、狡猾さも悪意も嘘も邪悪な世界に調和しています。神様が望まない方向に進んでいる世界は、このヘロデに現れるような、悪意が支配している世界です。疑いや憎しみもある世界。その世界に本来の支配を取り戻す。回復をもたらす新しい王としてイエスが来たという神様のみわざが、クリスマスの出来事です。イエス様は救い主であると同時に、新しい王、私たちが従うべき王として来られました。新しく来られた王としてイエス様を受け入れるという事は、自分の人生の王座をイエス様に明け渡すということです。これまでの自分の望む生き方ではなく、イエス様の支配で生きることを始めるということ。そしてその支配に生き続けるということです。この新しい王と出会う時に、二つの反応が起こります。受け入れ喜び礼拝するという反応。そして拒絶し排除しようとする反応です。王であるイエス様を拒否する時に、それはヘロデ王のように破壊を生み出します。その出会い、誕生を無かった事にしたいという反応です。救い主としてイエス様が来られたと告げ知らせるクリスマスの出来事は、私たちへの挑戦です。受け入れるのか?受け入れないのか?礼拝するのか?拒否するのか? 今、異邦人である私達もイエス様が救い主であると知り、礼拝する事へと招かれています。マタイが描き出した強烈なコントラスト。イエス様を知り、受け入れ信じ喜び礼拝した人々の姿と、拒絶した人々の姿。礼拝は神様に招かれ出会う出来事です。神様の前に出る時に、私達はどちらの姿で出るのでしょうか?大いに喜び最上のものを捧げた博士たちと、否定、拒絶し暴言を吐き、受け入れなかった指導者や兵士の姿。私たちの姿だけではなく、そこに私たちはイエス様の姿も見ます。拒絶されつつも共に居る事を選んでくださっている姿。苦しみを知りつつ共に居て救いと祝福を与えようとして下さることを選ばれる姿。インマヌエル「神が私たちとともにおられる」と呼ばれる方であるイエス様との関係を、このクリスマスの時期に今一度吟味しつつ迎えたいと願います。

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