「力を求める祈り」

2021年9月26日礼拝説教梗概

聖書:エペソ人への手紙3章14~21節

説教:安藤友祥主任牧師

この箇所の祈りは、教会の人々が神様の力を受けて、生きることができるようにと祈る祈りです。
 パウロは教会に属する人が強められる必要を覚えていました。パウロはただ聞き知るだけではなく、福音に生きる者として、実際に生きることを励ますためにこの手紙を書いています。これから伝える救われた者としての新しい生き方。そのように生きる力は自分の力ではなく、神様からの力で生きるのだという事を。神様は私たちに豊かに力を与え、強めて下さる方です。
 心に住んでくださるイエス様はお客様ではありません。自分を支配する方です。パウロが祈る祈りは、主権者である方に、これからの生き方、人生、選択において、自分の大切な場所、決断する時に働かせる領域を支配していただく事を願う祈りです。私たちの行動や動機、思いを導いていただく。その事を積極的に求める祈りです。
 神様に従って生きるとは、自分が生きたいように生きる、生きやすいように生きるという「自分」が主語ではなく「イエス様」が人生の主語になるという事です。神様は求めています。心の内にイエス様が住み支配することを。大切なのはイエス様が心のどの位置にいるのか?という事。パウロはイエス様を心の中心に居ていただく事を願っているのです。
 イエス様が心に住んでくださるという事以上にパウロは私たちが同じキリストの内に入れられている事を強調しています。私たちの人生にも神様の計画はあるのですが、それ以上に神様の大きな計画の中に私たちの人生、命が含まれています。自分の計画に神様を巻き込む、引き寄せるのではなく、すでに入れられている大きな計画を知り、理解し、その為に私たちは生かされています。全てを通して神様の栄光を現すために私たちは救われ、生かされ、力を受けているからです。
 そのイエス様に自分の支配を委ねているのでしょうか?そのように生きることを喜び願っているのでしょうか?パウロは私たちの為に祈ります。私たちをイエス様がより支配し、聖霊によって力を受け強められて生きることを。

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setachu
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