「主に倣う生き方」

2025年5月25日礼拝説教梗概

聖書:ペテロ第一の手紙 5章1節~7節

説教:安藤啓子牧師

 

 1.長老たち、神の群れを正しく牧しなさい(5:1‐4)

1節の「そこで、私は、あなたがたのうちの長老たちに・・・お勧めします」は、前回の

<さばきは神の家から始まる>(4:17)ことから、彼らが手遅れにならないために、神様の御前で純粋な心を保ち仕えることの必要性を覚えたペテロ。

 そこで彼はまず、この地方の諸教会の長老たちに対して、どのように長老としての務めをなしていくのかを教えています。

 今日の聖書のおことばを通して、神様が私たちに望んでおられることを聞きました。神様から与えられている奉仕は、喜んで神様に従う心から出たものであること。そして、自ら模範を示すことのできる者であることが求められております。

 また、すべてのキリスト者が、神様の前に謙遜であり、心配を神様にゆだねるようにと教えて頂きました。神様の体である教会を皆で立ち上げていく時に、必ず必要なものが奉仕です。いやいやながら義務感だけでする奉仕だと自由な喜びをもってするわけではないので、心には喜びがありません。

 ですから、そうではなく神様に従う喜びをもって奉仕できるように、常に心の内を探って頂くのです。そして、御霊を満たして頂かなければ、活力が底ついてしまいます。

 牧会することも、奉仕することも、自分の努力や勢いだけでは必ず疲れが出て来てしまいます。ですから、この<神に従って>とあるように、父なる神様があわれみ深いように。

 イエス様が、病める人たちをあわれみをもって癒されたように。長老たちはそのあわれみ深いお心で、愛のわざをなさるイエス様の模範にならって、牧者になることだとも教えられました。

 神様の御前にへりくだった者には、心の内に神様が常に内住していて下さるのです。ですから、神様のお心で事柄を選び取って、神様の用意していて下さる道を歩める恵みに与れるのです。日頃から主と共に歩める平安を、安心を味わわせて頂けます。これはなんという神様の恵みでしょう。

 15節からペテロは、それまでの迫害や罵りとは、また違った苦しみに私たちの目を向けさせます。ペテロが教えるのは、主に従うゆえに体験する苦しみではなく、自分の罪の故の刈り取り、苦しみです。それらは味合わなくてもよい苦しみと言えます。そうではなく、むしろキリストの故の苦しみの中、神様をあがめなさないと教えます。ペテロは、苦しみの中にあっても神様から離れない、イエス様に従い抜く信仰を握りしめることが出来るようにと励ましています。普通なら思いもしない、苦難を喜び、苦しめられるときに神様をあがめる生き方。人が驚くような在り方が、イエス様によって救われた人の、新しい命を受けた人の生き方です。

 神様は真実な方であり、この世界の創造者です。神様はすでに、イエス様をよみがえらせ、先にある勝利と栄光の約束を与えてくださっている。だからこと、私たちは、その事実に、信頼し自分のたましいを委ねることが出来るのです。私たちの信仰の歩み、その先にあるのは、キリストの栄光が現れる時に、歓喜にあふれて喜ぶという約束です。

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