「飼葉桶の中で」
2021年8月15日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書2章1~7節
説教:住友暁伝道師
マリアは、皇帝の勅令に従って、婚約者ヨセフと先祖ダビデの町、ベツレヘムにやって来ました。しかし、その町にユダヤの人々が待ち望んでいたメシアのためのスペースはありませんでした。今に生きる私たちの心にはイエス様をお迎えするスペースはあるでしょうか。日々の生活の中で、イエス様がおられる場所は備えられているでしょうか。イエス様は常にあなたの心を満たしたいと願っておられます。マリアたちは、乗って来たロバと一緒に宿の家畜小屋に寝泊まりすることになりました。マリアは、月が満ちて男子の初子を産みました。旧約聖書に預言され、天使が告げた、メシアの誕生です。聖書において「初子」は、汚れのない、神殿における全焼のささげもの、いけにえを指し示す言葉です。創造主である神様は、私たち被造物を罪・咎から贖い出し、和解してくださり、神の国の新創造へと招くため、神の子イエス様をこの地上にささげものとして遣わされました。イエス様が、罪ある私たちを救い出すためには、神の子が、汚れのない完全な人間として、いけにえのために殺され、葬られて、墓から肉体的によみがえることが必要でした。イエス様は、この世の常識では考えられない仕方で人々を救うためにこの世に来られたのです。まさに、そのスタートとも言うべき場所の飼葉桶は謙遜・謙卑、へりくだりの象徴であり、十字架を指し示しています。受肉がなければ十字架に架けられることも、復活もありません。救いは、受肉した神様、すなわち完全な人間として生きて、死んで、再び生きて、今も生きて働かれる神の子、イエス・キリストを信じることによって与えられます。今日は終戦の日ですが、私たちの主、イエス様は、私たちを隔てる敵意の壁、国と国、民族と民族の隔ての壁を取り壊しにやって来られました。飼葉桶に眠る救い主を見つめて、そのへりくだりの神様の愛に倣い、イエス様の平和・シャロームを生きてまいりましょう。そして、互いの謙遜によって、争いのあるところに終わりがもたらされ、まことの平和・シャロームが打ち立てられますようにと祈り続けてまいりましょう。
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