「主よ、この人はどうなのですか」
2024年7月14日主日礼拝説教梗概
ヨハネの福音書 21章18~25節
説教:安藤友祥主任牧師
イエス様から回復と新しい働きへの招きを受けたペテロ。彼はイエス様から殉教を通して神様の栄光を現す生き方へも、この時に召されました。ペテロは自分とイエス様についてきていた愛された弟子が気になり、イエス様に質問します。「主よ、この人はどうなのですか」。私たちは自分自身の事もですが、他の人の事も気になってしまいます。ペテロと愛された弟子は行動を共にすることも多かったので、愛された弟子も殉教するのか気になってしまったのかもしれません。ただ、イエス様はその質問したペテロに対して「あなたには何の関りがありますか」と言われます。ペテロにはペテロの。愛された弟子には愛された弟子の神様からの召し、計画があるのです。そして、その召しは自分以外の誰かが自分と同じでなかったとしても、関係のないこと。召しに影響を受けないことです。神様からの働きの召しに従うときに、「なぜ私が、この働きに?」となることは多くあります。聖書に出てくる神様に召された人も、多くの人が同じように疑問を思い、神様に訴えています。ただ、神様にはキャスティングミスは無いという事を覚えて、信頼して従って生きたいのです。イエス様はペテロに対して繰り返し「あなたは」と伝えられます。私たちも「この人はどうなのですか?」と隣の人が、他の人が気になってしまうかもしれません。その質問にイエス様は「他の人」ではなく「あなたは」と第三者を挟まない、「イエス様と私」と言う個人的な視点の中で、「わたしに従いなさいと」他の人ではなく、従うべき方であるイエス様に目線を合わせる事に私たちを導かれます。
そして、愛された弟子はイエス様の出来事の目撃証人として、また証しするものとして召されました。そして彼は、召しに従って生き、この福音書を書き上げました。
19節に目を向ける時に、ペテロがこの時の召しに従い通し、死の時にまで神様の栄光を現したことが書かれています。彼は死の間際まで、イエス様と出会ったこと、イエス様に愛され、愛したこと。そしてその愛のゆえに、殉教することになっても、イエス様に従うという事を手放さなかった。従い通した。イエス様との関係、イエス様の福音にはそのような力、意味、価値が自分にはあるのだと、生き方を通して、ペテロは証ししたのです。