「目を開く方」
2023年8月27日主日礼拝説教梗概
ヨハネの福音書9章1~41節
説教:安藤友祥主任牧師
イエス様が出会い、目を開く奇跡を起こされた人物を中心に9章は展開します。そしてここでの出来事はイエス様の「わたしは世の光である」という発言に関連する出来事として書かれています。
生まれつきの盲人であった彼をご覧になるイエス様。弟子達はイエス様に尋ねます。「彼が盲目な原因は彼の罪か?彼の両親の罪か?」なんともデリカシーの無い発言と感じる弟子たちの言葉。けれどもこの因果応報とも言える言葉は、当時、当然のように考えられていた考えでした。生まれてずっと、このような発言を聞かされてきた彼とその家族。そこには苦しみも混乱も悩みもありました。何度も聞いていた質問に、きっと今回もいつもと同じような無責任な答えが出てくるだろうと考えていた彼に耳を疑うような言葉が聞こえてくるのです。「誰の罪でもない。この人に神のわざが現れるため」と。その言葉を言った人物、イエス様は自分の唾で泥を作り、目に塗り命令してきます。シロアムの池に行って洗いなさい。彼はイエス様の言われたとおりに従った結果、目が開かれるという奇跡を体験します。
目が開かれた彼を見て、近所の人は驚き、また人は彼だという事を疑いました。イエス様によって彼は新しくされ、周りの人が驚くような変化をしているのです。彼自身は自分に起こった出来事を具体的には理解できておらず、自分が体験、経験したことしか伝えることが出来ません。けれども彼の証しとクリスチャンの証しは重なる部分があります。新しくされる体験は具体的にどのようなことが自分に起こったのか分からない。けれども確かに変えられたという出来事がそこにあるのです。
イエス様は自分を遣わされた神様のわざを行われました。目を開き、彼を闇から光へと移されたのです。神様しかできないわざ、メシアがするわざを大胆に行う事で自分がどのような存在か示されたイエス様。この箇所でイエス様が全ての混乱、解決を必要とすることに解決をもたらしてくださる方がわかります。大事なことは、他でもなく、それらが「イエス様によって」起こるという事です。人間の想像を超えて働かれ、解決を与えてくださる方、イエス様の姿を見ます。そしてそれはその人の魂に関わる解決と回復だということです。
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