「私たちを救うために」

2022年12月25日主日礼拝説教梗概

ヨハネの福音書1章1~5節、9~14節

説教:安藤友祥主任牧師

 クリスマスは御子なる神様が人としてこの世界に来てくださった奇跡の出来事を祝う時です。同時に、今日行われる洗礼式が現す出来事。人が神様によって救われ、神の子とされるという神様の奇跡だと言えます。御子なる神様が私たちを救うためにこの世界に飛び込んできてくださった。私たちに関わるために、罪の奴隷から解放し、死から命へと移すために来てくださった。そのように、とても嬉しい出来事がクリスマスに起こりました。けれども、この世界は、その救い主であるイエス様を歓迎せず、受け入れず拒否してしまった。なぜそのようなことが起こるのか?それこそが神様の前に死んでいる状態であり、闇の中にいるということ。罪の奴隷状態だと言えます。裁きと滅びが待っていた私たちが、罪の奴隷から解放されるだけでなく、神様の愛のうちに、神様の子として生きることが出来る道を与えるために、私たちの救い主であり、私たちの命の光であるイエス様は来てくださいました。父なる神様は私たちに回復を与え、神様の子としての特権を与えようと働きかけてくださいました。

神様の子とされること。それは神様の支配をこの世界で実現し広げていくと言うこと。死んでいたものに命が与えられる。闇の中を歩んでいたものがまことの光、命の光を受けて生きるようになる。罪と死の奴隷から解放されて、それらに勝つ者として生きる者へと変えられる。神様の支配を広げる者と、新しい者へと変えられた奇跡。神様が今も生きておられ、人を救ってくださる方であると証しする。人が死から命に移されるとても美しいみわざ。神様にしかできない、この世界で一番で素晴らしい奇跡の出来事。それが、洗礼式に現わされる出来事と言えます。

二年ぶりの洗礼式。この二年様々なことを体験しました。けれども私たち教会は知るのです。そのような状況の中でも神様は生きておられ、人を救ってくださるということ。神様の御言葉には変わらずに、人を救う力があるということを。神様が関わり、心開いてくださり、神様への信仰告白へと導いてくださった。キリストの体としての働き、歩みは前進していたこと、していることを覚えるのです。そして導いてくださっている神様を、確信をもって私たちはほめたたえるのです。

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