「イエスから目を離さないで」
2023年1月1日主日礼拝説教梗概
へブル人への手紙12章1~3節
説教:安藤友祥主任牧師
この書の著者である人物は、信仰の歩みにおいて必要なことを明確にし、教会に励ましの手紙を書き送っているのです。著者は信仰の歩みを競争と表現します。競争ですが、誰かと競っている、勝ち負けがあるような競争ではありません。ゴールすること、走りぬく事が目的です。この競争を走りぬく3つの秘訣を著者は教えます。
1つ目。重荷と自分たちにまとわりつく罪を捨て去る。「聖霊に満たされる」ためにも、まずは自分の中にある、聖霊の邪魔をするものを取り除いていただくように祈ります。それを神様に祈り、明け渡し、ゆだねることが出来るように。神様からの解決があるように助けを求めるのです。
2つ目。信仰の歩みには忍耐が必要であると。求められているのは走りぬくこと。速さではないのです。長い道のりを見据えるのです。信仰を歩みぬくには聖霊の助けが必要です。信仰は自分で守るもの。自分の努力で守り抜くもの。立ち続けるもの。そのように考えているならば、それは信仰生活のように見える、全く別物の生き方になっている可能性があります。
3つ目に、イエス様から目を離さないでいるということです。私たちはすぐよそ見をします。イエス様以外のものを見て、不安になり、道を間違え、ゴールを目指しているはずが、迷い、疲れ果て、動けなくなる。イエス様を信頼して順調に歩みだしても、イエス様以外のものに心を奪われ、支配されるときに、信仰は弱り、沈んでしまう。イエス様から目を離さずに、神様との関係を持ち続けなくては、私たちの信仰はすぐに弱ってしまいます。イエス様には信仰が弱り、沈んでしまう私たちを救い立ち上がらせることが出来るのです。解決はイエス様からくるからです。
信仰生活で大切なことは、気持ちを盛り上げる以上に、真理を、イエス様を思い起こすことです。イエス様の歩みを思い起こすことです。
信仰の創始者であり完成者であるイエス様の歩み。それは徹底的に神様に従う歩み、十字架が、忍耐がそこにある歩みでした。イエス様に従う歩みは、その十字架の出来事にも倣う歩みです。イエス様の十字架に見るように、信仰の歩みには犠牲もそこにある歩みです。信仰には行動が伴います。私たちはイエス様を「眺めている」ではなく、目を離さずに、イエス様に倣う者として生きたいのです。
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