「神の『かたち』として」
2022年8月28日主日礼拝説教梗概
創世記1章26節
説教:安藤友祥主任牧師
「はじめに人は、神のかたちに創造され、神と正しい関係にあった。しかしサタンに誘惑され、神のいましめに背いて罪を犯し、神のかたちを毀損した。それゆえ、すべての人は生まれながら罪と悲惨、死の支配のもとにあり、思いと言葉と行為とにおいて罪ある者である。自分の努力によっては神に立ち返ることができず、永遠の滅びに至る。」
聖書は本来人間がどのような存在として創造されたかを教えます。私達は堕落後の罪の支配の中で生き。本来の創造の在り方からかけ離れ歪んでいます。歪んだ状態の人間が、歪んだ人間について学んでも、本来のあり方を知る事は出来ません。聖書は私達に本来の人間のあり方を教えます。
聖書は人間が「神のかたち」として創造された事を教えます。人間の他に神のかたちとして創造された被造物は無く、人間だけの独自性です。創造されたものに、後から神のかたちが与えられたのではなく、最初から神のかたちとして創造されました。ゆえに、全ての人は漏れることなく神のかたちであると言えます。
神のかたちとは何なのか?に関して聖書から諸説導き出されますが、実体的、関係的、機能的なものだと言われています。神のかたちと言うように、神様の持っている性質、属性、あり方が人間にも与えられ、神様と同じ秩序の元、神様と契約関係が持てる存在として創造されています。
本来の創造のありかたは、聖と義を与えられ、三位一体の神様が交わりを持たれるように、愛の交わりを実現し、神様が世界を支配されるように、創造された世界をふさわしく管理する者としての働きが与えられていた事を覚えます。
堕落によって歪んでしまった私達の神のかたちですが、本来の神のかたちとしてのありかた、生き方を示す存在としてイエス様が居ます。イエス様の生き方、関わり方、働きを見る時に、私達は本来の自分たちの生き方を知り、学びます。
神のかたちとして創造されたことに私達は、神様からの愛と尊厳を知ります。そしてその事は、私達が関わる全ての人が、神のかたちとしての尊厳、いのちをもっているということです。「神のかたち」であることを知る事は、神様との関係、そして他者との関係に、神様からの視点を持ち込む事です。