「愛する子へ」
2022年8月21日主日礼拝説教梗概
テモテへの手紙第二 1章1~5節
説教:安藤友祥主任牧師
テモテは「神を敬う」という意味の名前を持つ、ギリシャ人の父と、ユダヤ人で信者の母という家庭に生まれた混血児でした。第一回伝道旅行で救われた青年。その旅から約二年後、教会で評判の良い青年へと成長していたのです。
テモテはパウロに同行し、一緒に伝道をし、時に教会の教育のために派遣されていきます。パウロによって招かれたテモテは、この事をきっかけに、多少どころではない、多くの苦労や痛みを経験した事は容易に想像できます。パウロはこのテモテを心から信頼し、愛していました。
テモテへの手紙には、エペソ教会の牧会で苦労しているテモテを、御言葉を持って励まそうとしているパウロの姿があります。テモテが奉仕の中で弱り切り、臆病になっている事も見えてきます。テモテも神様への献身に一生懸命でした。聖霊は確かに、そして豊かにテモテを用いてくださった。けれども、様々な出来事で翻弄もされてしまっていた。パウロがテモテを励ます時の、最後の決め手は、テモテが信じている信仰についてでした。聖書に立ち返りなさいと。聖書には力があるのだと再確認させようとしているのです。神様から目を離さない事を、与えられた召しに立ち続けるようにと励ますのです。
神様はテモテをその計画の中で、祖母、母にも信仰を与え、幼いころから導かれました。テモテも神様を信頼し、生きようとする母たちの姿を見て育ちました。彼女たちにとって神様の教えは自分たちを導く道の光でした。彼女たちは自分たちが大切にしている良いものを、分かち合いたい。そう願っていたはずです。
私達が伝道する理由もここにあります。私達はすでに良いものを受け取っている。この良いものを大切な人にも受け取ってほしいと願うからこそ、伝えるはずです。「良い姿を見せる」「良いところだけ見せる」だけでは疲弊します。格闘する。けれども、信頼する。神様を信頼し、聖書に教えられつつ歩む。罪が示される時には謙遜に悔い改める。そのような私達の日常の歩みが、伝道の言葉になっていきます。時としてしがみつくような時もある中で、それでも信頼することをやめないという姿。そのように歩む私達を主の御手は愛し導いて下さるのです。私達に働かれる神様を、私達の周りの人が知っていくのです。