「知恵いや増すキリスト」
2021年10月31日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書2章40~52節
説教:住友暁伝道師
飼葉桶に寝かされた幼子は、「成長し、知恵に満ちてたくましくなり」ました。そして神の恵みがその上にありました。その後、イエス様は成長を続けて、30歳で公生涯に立たれますが、少年期のイエス様の姿をただ一人、ルカが福音書に残しました。マリアとヨセフは、毎年欠かさず過越し祭りを祝っていて、イエス様が12歳の時も一家で参加しました。当時は、村々からキャラバンを組んで神殿のある都エルサレムに向かいました。1週間にわたる祭礼を終えた帰路、ナザレ村の集団の中にいると思っていたイエス様がいないことに気づいた両親は道々探しながらエルサレムに引き返しました。イエス様は、神殿の中で教師たちのセミナーの輪の中にいました。教師たちとのやりとりを聞いて、周りを取り囲んでいた人々はその理解力と受け答えに驚かされました。それは、イエス様が真摯に成長のために学ばれているお姿でした。両親もまた、イエス様のそんな姿を初めて目にして驚きました。イエス様は両親に、「父の家」にいることは当然だと応答されました。父なる神のみわざの内にあってその働きを始めていると言う自覚と宣言でした。しかし、従順に両親に従い、「ナザレに帰って両親に仕えられた」。ルカは、当時、教会に異端が生まれ、入り込む状況下で、この記事を通して、イエス様は神様であったけれども、私たちを救うために完全人間としてこの地上に来られたことを明確にしました。ナザレと言う片田舎の裕福ではない両親のもとに、神としての全知全能の能力を制限され、身体も心も魂も完全な人として生まれ、完全な人として知的、道徳的、霊的な成長プロセスを辿りました。ルカは、神殿での出来事を描くことで、二重の意味を持つへりくだり従うお姿を示しました。すなわち、神様に従い仕える姿と地上の両親に従い仕える姿です。私たちの信じるキリスト・イエスは、徹頭徹尾、父なる神のみこころに従い、私たちを救うために十字架に向かって人として学び、知恵増し、成長し、歩んで行かれたのです。私たち神の民としての歩み方として、このイエス様のお姿を想起し、お従いしましょう。
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