「聞いて行う」

2023年10月8日主日礼拝説教梗概

聖書:ルカの福音書8章19~21節

説教:住友曉伝道師

 福音を延べ伝えるイエス様のもとに母マリアと兄弟たちが訪れました。彼らは、イエス様から「神のことば」を聞こうとしてやって来たのではありませんでした。ルカが下地にしたマルコの福音書によれば、家族は「イエスがおかしくなった」との話を聞いて連れ戻しにやってきたのでした。その家族のことに関してイエス様は、これまでの「4つの土のたとえ」と「ともし灯のたとえ」の文脈に続くようにして、「神のことば」を「聞いて行う」人たちこそ、わたしの家族なのだとおっしゃいました。

 「神のことば」は「神の国」を指し示しますが、それはメシア到来による救いの恵みです。このことを、当時のユダヤの人々は、“自分達はアブラハムの子孫で祝福されたイスラエルの民だ。やがて預言通り、ダビデのように強いメシアがやってきてローマ帝国の支配から救い出して、栄光のイスラエルを再興して下さるのだ”と理解し、期待し、待ち望んでいました。しかし、イエス様の言う「神の国」は、そのような政治的な国ではなく、神様のご支配のことでした。被造物である人間一人ひとりが神様の支配の中で神様との正しい関係に回復されていく世界です。ですからイエス様が、「わたしがそのメシアで、神の国が到来した」と言っても多くのユダヤ人の人々にとっては意味不明で、受け入れられませんでした。

 「神のことばを聞いて行う」とは、既に来て下さったキリスト・イエスによって実現している救いの恵みを聞いて、聞くだけでなく、信じて受け入れることです。神様を父として、主イエスによる救いの恵みに与り、神様のご支配の中で主に信頼し、お委ねし、福音に生きる者をイエス様は、「わたしの母、わたしの兄弟たち」と親しく呼んでくださるのです。それは国籍や血肉の繋がりを超え、神の国を受け継ぐ神の家族の結びつきです。そしてこの結びつきが神の家族の共同体即ち教会を建て上げていきます。教会の要石はキリストご自身です。キリストを要石とする以上、主に結びついた一人ひとりが神様を信頼し神様のご支配にお委ねし、神の国に生き続けなければなりません。神様にご支配を委ねるとき、神様を愛し隣人を愛する生き方へと変えられていきます。そして、その神の国は、その人を通して家庭へ、職場へ、学校へと広がっていくものです。教会はその神の国を証する共同体です。今週も、神のことばを神のことばとして「聞いて行って」まいりましょう。

 

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