「泣く者とともに」
2021年6月13日礼拝説教梗概
聖書:ローマ人への手紙12章15節
説教:安藤友祥主任牧師
私たちは生活するうえで様々な困難、痛み、課題や問題に出会います。その時に私たちは驚きや悲しみ、戸惑いなどといった感情を体験します。先にある希望を受けている、福音を受けている。救われている。神様が共に居て下さる。けれども、私たちは戸惑い、恐れ、不安や、時には怒りも覚えます。信仰を持っていても動揺しますし、不安にもなる。そして、そのような感情を抱くときに不信仰なのかとも悩む時があるかもしれません。私たちが体験する様々な感情。なにより、今私たちは愛する方との別れを体験する中、この気持ちをどうすれば良いのかという思いもあるかもしれません。
イエス様は悲しむ人々に対して、先の希望があるから悲しんではいけないとイエス様は言われませんでした。先にある希望は確かにある事を知りつつ、けれども目の前にある死に対して悲しむ人とともに悲しみを覚えられた。その悲しみにも寄り添い、担ってくださいました。
私たちは、悲しみのある人に寄り添いたいと願う時に、その人を愛したいと願う愛がそこにあります。ただその愛がその人への愛ではなく、自分への愛に変わってしまう誘惑があります。
悲しんでいる人に寄り添いたいと声を掛ける。その時に、その人の悲しみに寄り添うのではなく、自分が体験している悲しみや感情をその人に担わせてしまう事が、時としてあることを覚えます。泣く人が何で泣いているのかに耳を傾け、心を傾け、ただその痛み、悲しみを受け止め共に泣く。その寄り添い方をパウロは語っているのではないでしょうか?
その悲しみの中にある人を知り、寄り添ってくださるイエス様と共に、寄り添い、祈りを共に出来る、そのようなイエス様を中心とした、イエス様に居ていただく交わり。何より、私たちが出来る事は、「出来る」というと上から目線かもしれません。私たちは、寄り添ってあげるではなく、悲しみの時に共に居る事が許されているということです。その許しの中、泣くものと共に泣く。寄り添うという同伴をしていけたらと願います。
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