「血と水」
2024年6月2日主日礼拝説教梗概
ルカの福音書 19章31~42節
説教:安藤友祥主任牧師
今日開いている箇所は、死んだイエス様の遺体をめぐる様々な出来事です。ローマ兵による死亡の確認。ヨセフとニコデモによる埋葬。ヨハネがここの箇所を通して伝えたい第一の事は、イエス様は確かに死なれたという事実です。ヨハネは、イエス様が完全なる過ぎ越しのいけにえとして死なれたことを伝えます。それはバプテスマのヨハネがイエス様の事を「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」と伝えたようにです。
イエス様の処刑に成功したユダヤ人たちは、申命記21:23の教えから、イエス様の遺体で土地が汚れないようにと、死刑囚の足の骨を折ることを願い出ます。翌日は大いなる安息日。その安息日に遺体が残らないように、土地が汚れないようにと必死です。足の骨を折りに来た兵士は、イエス様が異例の速さですでに死んでいる事に気が付き、折ることをやめます。そして確実な死亡確認のためか、槍で脇腹を突き刺します。すでに死んでいたから足が折られなかったこと。これは、過ぎ越しの子羊の骨が折れていてはいけないことに関係してきます。槍で刺された傷口から血と水が流れます。これはイエス様が確かに肉体をもっていたこと、そして確かに死なれた事の証拠として書かれます。同時に、ヨハネの福音書では血は6章において語られる新しい命を思い起こさせ、水は7章で語られる聖霊を思い起こさせます。
犯罪者として処刑されたイエス様の遺体を引き取り、丁寧に埋葬しようとする二人の人物が登場します。彼らはユダヤ社会で立場もあり、イエス様が生きていた時には表立って行動することが出来なかった。けれどもイエス様の死に際して彼らは変えられ行動を起こしました。王の埋葬を思わせるような多くの香料をもって園にある墓に埋葬されるイエス様。この箇所にも「園」と言う言葉が使われます。人間を創造した第六日に、イエス様は十字架で死なれました。そして神様が休まれた第7日の安息日、イエス様は墓の中に横たわっておられるのです。ニコデモたちによる尊厳を保つための埋葬はあった。けれども、そこにあるのはイエス様が死んでしまったという事実。関係者たちは悲しみの内に安息日を過ごさなくてはいけなかったことを思います。ただ7日が終わり、新しい週のはじまり、第8日に神様はこの墓を大いなる奇跡の場と、園の中で大いなることをされようとしていたのです。
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