「あなたとともにいる主」

2024年8月18日主日礼拝説教梗概

出エジプト記 3章12節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 モーセの召命の出来事に目を向けます。エジプトの王がイスラエル人を奴隷とし、命の尊厳を脅かす最悪な時代に、モーセは生まれました。モーセは不思議な導きでファラオの娘の子どもとして育ちます。ただ、将来が約束されていたモーセは、勢いから人を殺し、立場も生活の場も追われてしまいます。エジプトから逃亡しミデヤンの地にたどり着くモーセ。彼はその場の流れに身を任せ、思い切って異国の地での生活を始めます。羊飼いとして生活をしていたモーセに神様が出会ってくださいました。

 ただモーセは神様からの招きに対して、様々な理由をつけ、断ろう、逃げようとします。神様が「ともにいる」と約束してくださっても、その約束の言葉はモーセからすると、大きな安心につながる言葉ではなかったのです。モーセは神様がともにいるから大丈夫となるのではなく、神様から与えられた使命に対して、自分自身を見つめ、自分の力、能力、自分で出来るかどうか?に目を向けていました。神様はモーセを励まし、立ち上がらせようとしてくださいますが、言い訳の続くモーセに怒られ、モーセの代弁者となるアロンの存在を使ってモーセを立ち上がらせます。

 本来ならば、神様がともにいてくださるから、神様のわざを実行できる。神様の助けがあるから、行うことが出来る。神様が働いてくださるから、一歩踏み出せるとなるべきでした。けれども、モーセのように、条件を考えたり、状況を考えたりして、なかなか前に進もうと出来ない時があります。また神様がともにいてくださることを求めずに、自分の能力やわざで、神様の計画を進めようとしてしまう事もあります。モーセはここから始まる役割を果たしていく中で、神様がともにおられることの重要性。何よりもそのことが必要であると学んでいきます。神様の臨在が共にいてくださらなければ、導きあがらないでくださいと言うまでに、神様の臨在の重要性をモーセは学ぶのです。それは神様がともにいてくださる歩みの中で、築かれていった神様の臨在への信頼と言えます。神様は最初から「ともにいる神様」としてご自身を現してくださいました。神様がともにいてくださったからモーセはなすべき務めを行うことが出来た。私たちもその神様がともにいてくださることを求め、そこに安心と平安、信頼して歩んで行きたいのです。

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