「主のことばに聞き入る」
2024年10月27日主日礼拝説教梗概
ルカの福音書 10章38~42節
説教:安藤友祥主任牧師
エルサレムでの受難への旅の中にあるイエス様は「ある村」に入られ、マルタに迎えられるイエス様。マルタにはマリアと言う姉妹が居ました。そのマリア、イエス様のもてなしの手伝いをするのではなく、弟子たちに交じって「主のことば」に聞き入っています。その状況に耐えかねたマルタはやってきて、マリアではなく、イエス様に訴えます。苛立っている相手のマリアではなく、イエス様に伝えるマルタ。当時の文化においてマルタの主張はまっとうなものでした。当時の家の中では、男女の領域が現代以上に明確に分かれていたと言われています。その視点、当時の役割で考える時に、このマリア。当時の常識からは考えられない、境界線を越えた行動をとっていることが見えてきます。
ただそんなマルタにイエス様は語り掛けるのです。必要なことは一つだけで、その良い方をマリアは選んだのだと。それが取り上げられることは無いと。この箇所でマリア「主の足元に座って」と書かれています。足元で話を聞くという行為は、その人の弟子となる。ただ教わるだけではなく、他の弟子たち同様に、その教えを伝えていくために、学ぶというニュアンスがあります。その視点で見る時に、この時のマリアは当時の文化の様々な状況、常識、そして一般的に考えられる、男女の役割と言う境界線も越えて、イエス様の足元に座っていたことが見えてくるのです。マルタからしたら、それは男性の弟子たちの働きであって、私たち女性は食事の準備をとも思ったのかもしれません。それを伝えに来たマルタに対して、イエス様は言われたのです。「それが彼女から取り上げられることはありません」と。当時の常識を超えた、マリアの大胆な行動。それを主は許された。言い換えるならば、その働きへと招かれたとも言えます。
神様を愛する事とは何か?に関して、この二人の姉妹の出来事が語られています。マリアがしたこと。それは「主のことば」に聞き入る事でした。主が話されようとしていることを、積極的に聞きに行き、学ぶという事です。主は語られようとしている。それを聞くという姿勢です。神様を愛する事。それは、まず主のことばに聞くという事。そこから始まります。そして、主のことばを聞くうちに、他者に対する愛の行動、奉仕にも導かれます。
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