「受胎告知」

2024年12月8日主日礼拝説教梗概

ルカの福音書 1章26~56節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 ルカはこの出来事を書くときに、ザカリヤの出来事と同じような表現を用いつつ、このザカリヤとマリアの対比、この出来事の独自性を書き表していきます。ザカリヤは神の前に正しく、律法も落ち度なく行う信仰の持ち主として、また祭司という社会的立場の持ち主として紹介されます。対して、マリアの信仰に関しては何の紹介も無く、幼い処女で何者でもないものとして紹介されます。突然現れる御使い。自分に対する祝福の言葉。マリアは戸惑い考え込みます。ザカリヤは御使いの言葉を信じられず疑った。マリアはその言葉がどのようにして実現するのか?と実現は疑わずにプロセスに疑問を持ちます。ザカリヤは旧約聖書にも書いてある出来事が実現することを信じるチャレンジを受けました。マリアは聖書には書かれていない前代未聞の出来事が自分に起こることを信じるように招かれました。どうしてそれが実現するのか?その決め手は聖霊によるものでした。そして「神にとって不可能は無い」という力強い宣言がそこにあったのです。神様がされること、神様が主体的に進められることだと確信したマリアは、「どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」と信仰を言い表します。

 マリアは御使いから親族エリサベツの妊娠を聞き、山地にあるザカリヤの家に急ぎます。この時にはすでに聖霊によって身ごもっていたマリアの挨拶を聞き、エリサベツの胎内にいるヨハネが喜び踊り、聖霊に満たされたエリサベツも、マリアのおなかにいるのは自分の救い主だと知り、ほめたたえます。神様の奇跡的な体験によって母親になった二人の女性。人間的な目で見るならば、比較したり、対比したりしてもおかしくない状況。けれども、二人の目は神様に向けられ、共に救いの計画を成就へと進めていてくださる神様への賛美があふれています。

 何者でもなかったマリアを神様は用いて、救いの計画を前進させました。ただそこに神様からの約束があり、招きがありました。それに信仰をもって応答したマリアの姿が鮮明に書かれています。神様に従う事は、神様に人生を明け渡す出来事です。マリアは神様の言葉を聞き、その言葉に従うという歩みを始めます。そしてその歩みは幸いな、恵まれた人生であると御使いは教えるのです。

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