「主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた」

2025年1月1日元旦礼拝説教梗概

聖書:ルカの福音書 10章39節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 この箇所には、主のことばを聞こうとすることの大切さに合わせて、主の足もとに座る事。主の弟子となる事の大切さが語られています。そして、結果としてそれが、イエス様を、神様を愛することに繋がると、ルカは私たちに教えるのです。

 イエス様のことば、教えを聞く時に、聞いて終わってはいけないことが、「4つ種」と呼ばれるたとえ話で語られます。ではどうすればいいのか?イエス様は8:15で、誠実な、正直な心、二心ではない心で神様の御言葉を聞き、受け入れ、そしてそれをしっかり守り、忍耐することで実を結ぶと教えるイエス様。御言葉を聞くだけではなく、その実践の大切さを教えています。

 聖書が教える世界観と、私たちの周りにある世界の価値観が違いすぎて戸惑う事もあるかもしれません。聖書の価値観ではない価値観が、この世界の中で大腕を振っています。聖書の価値観でそれに立ち向かおうとすると、吹き飛ばされてしまうのでないかと錯覚すらしてしまう。ただ、私たちはダブルスタンダードや、器用な使い分けをしないようにと、イエス様は教えているのです。もし吹き飛ばされると感じてしまうならば、そこには、御言葉への信頼が無くなってしまっている自分がいるのです。イエス様は「御言葉を聞いていれば、大丈夫!」とは言っていないのです。受け取った御言葉が実を結ぶためには、私たちはしっかりと守り、何より、忍耐しなければならないのだと教えられているからです。

 御言葉を聞いて、格闘する姿も証しになることを私たちは覚えておきたいのです。御言葉に生きるとは、キラキラしたものではないと言えます。なぜなら、忍耐が必要な歩みだからです。助けが必要な歩みだからです。汗臭い、涙もある歩みです。自分には助けが必要だと自覚する事、時に悔しさも体験します。心の狭さ、愛のなさ、言葉の至らなさ、これまでも様々な体験をしてきたように、この一年もそのような体験が、嬉しくは無いですが、待っているかもしれません。けれども、私たちは、イエス様の、神様の言葉に力があり、命があることを知っています。だからこそ、主の足もとに進み出て座り、しっかりと腰を据えて、イエス様の言葉に聞き入る。そのような一年としたいのです。

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setachu
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