「知識か?生き方か?」
2025年7月27日 主日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書16章14~31節
説教:安藤友祥主任牧師
15章から語られている、ここまでのイエス様の話を聞いていたパリサイ人達は一部始終を聞き、イエス様をあざ笑います。それを受け、イエス様はパリサイ人達の偽善を批判します。
18節では、当時、律法が、本来持つべき重さ、権威が失われてしまっていたことが指摘されています。そして、その例として、この離婚問題をイエス様が取り上げたと言えます。律法の解釈者たちによって、結婚が本来持っている重みが失われ、離婚が氾濫している。神様が律法に託された本来の意図、思いをないがしろにしてしまっている状況。パリサイ人達に本来の律法理解が無いことを示します。
イエス様はたとえを用いて教えられますが、このたとえのポイントは、すでにモーセと預言者。旧約聖書が与えられているということ。律法には「隣人をあなた自身のように愛せよ」との命令があり、この命令はイスラエルに居る在留異国人や弱者に対する施し、助けに関する教えの中で教えられています。預言書でも神様は、人々が犠牲を捧げること以上に貧しい人々を慰めることを願っておられます。金持ちはこれらの聖書の教えを知ってはいるけれど、そのように生きてはいなかったと言えます。
このたとえ話は、イエス様を批判してきたパリサイ人に対して、イエス様が語られたたとえ話です。律法の権威は失われないことを伝え、離婚問題を通して律法にある神様の思いをないがしろにしていることを指摘もしている。たとえ話では、モーセと預言者を知りつつ、教えられるように生きない金持ちの姿。モーセと預言者に耳を傾けないことの悲惨さを教えています。パリサイ人に目を向けるならば、彼らは聖書を熟知し、暗記もしている人々。つまり、モーセも預言者も知っていると自負しているはずです。けれども、イエス様に言わせるならば、聖書を知っているけれども、聖書が教えるようには生きていない人々だと言えます。イエス様はこの箇所で何段階にも、何層にも構成させ、パリサイ人達の現状を批判します。彼らが現状を知り、このままでは駄目だと知り、悔い改めてほしいからです。
聖書は、私たちの知識のためではなく、私たちの生き方を変えようと、権威をもって私たちに語りかけ、働きかけてきます。謙遜に御言葉に聞く、従う、生きるものとされてまいりましょう。15章から語られている、ここまでのイエス様の話を聞いていたパリサイ人達は一部始終を聞き、イエス様をあざ笑います。それを受け、イエス様はパリサイ人達の偽善を批判します。
18節では、当時、律法が、本来持つべき重さ、権威が失われてしまっていたことが指摘されています。そして、その例として、この離婚問題をイエス様が取り上げたと言えます。律法の解釈者たちによって、結婚が本来持っている重みが失われ、離婚が氾濫している。神様が律法に託された本来の意図、思いをないがしろしてしまっている状況。パリサイ人達に本来の律法理解が無いことを示します。
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