「それだけで良いのか?」

2025年8月10日 主日礼拝説教梗概

聖書:ルカの福音書17章11~19節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 

 聖書を読むときに、神様に信頼して行動することの大切さを覚えます。ですが、今日開いている箇所は、それだけでよいのか?と私たちに問いかけてくる箇所です。

 イエス様が、ある村に入られると10人のツァラアトの人たちが憐れみを求めます。イエス様は彼らを見ると、祭司に自分のからだを見せに行けと命令されます。まだ自分の体には何も変化は起こっていない。けれども彼らはイエス様の言葉に従って行動する信仰を持っていました。そして、彼らはイエス様の言葉に従った結果、きよめられました。10人のうちの1人は、自分が癒されたことが分かると、大声で神様をほめたたえながら引き返し、イエス様の足もとにひれ伏して感謝を捧げます。彼はサマリア人でした。10人癒されたけれども、戻ってきたのは一人のサマリア人だけ。19節でイエス様は言われます。「あなたの信仰があなたを救ったのです。」これまでにも、きよめられる、癒されるという表現が使われてきました。けれども、感謝を捧げに戻って来た彼だけが、「救われた」という言葉をイエス様に言われます。彼は癒しだけではなく、彼自身の救いも受け取りました。

 10人は、イエス様の言葉に迷わず従い、行う信仰をもっていました。これはすごいことです。けれども、その神様の奇跡を体験した10人の出来事で終わらず、今日の箇所のイエス様は、その先の事に私たちの目を向けさせます。ここでのポイントは神様への感謝です。信仰による行動の先の出来事、「神様に感謝をする」ということ。残念ながら10人の内9人という大多数は感謝をしませんでした。感謝せずに、恵みを、祈りの結果だけを受け取って終わってしまう時。感謝していないわけではないけれど、感謝することを忘れてしまう時があるかもしれません。そこに油断していないかと問われます。信仰をもって行動できたこと、結果を受け取ったことを、神様に感謝するということをイエス様は教えられています。もしそれが、自分の行動にばかり目を向けてしまっているならば、神様を差し置いて、自分が自分の人生の主人、主役になっている恐れもあります。

 信仰、信頼、従うことはもちろん大切です。けれども、それだけではないのだと、そこに神様への感謝を忘れているならば、神様、イエス様との関係も見直しが必要だと教えられます。感謝までを含んで、信仰、信頼の歩みです。

投稿者プロフィール

setachu
setachu