「いつ?どこで?」

2025年8月24日 主日礼拝説教梗概

聖書:ルカの福音書17章20~37節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 

 聖書が教えている終わりの日の出来事。パリサイ人達の質問は「いつ来るのか?」というタイミングに関する質問でした。ただ、イエス様は「ここだ」「あそこだ」と言えるようなものではないと説明します。人間が前兆を注意深く観察して、日時の計算とかも出来ないのです。

 イエス様は、「神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」と言われます。パリサイ人達は「いつ来るのか?」と未来の事に意識を向けています。けれども、そもそも、それが間違いであり、すでに目の前に現れているイエス様を受け入れるチャレンジをここで受けています。まことの王であるイエス様が来られた。だからこそ、神の国は到来しています。神の国は既に来ている。けれども未だ完成していない緊張関係にあります。

 弟子たちには、終わりへの備え、そして今をどのように過ごすのか?という視点で教えます。終わりの出来事に関する誤解に対して、イエス様が再臨される時には、すべての人が知ることが出来る方法でやって来られると教えます。

 さらにイエス様は、ノア、ロトの出来事を引用します。イエス様は、裁きの突然性を伝えるというよりも、正しい判断と選択をすることを迫るために語られています。ノアの時代の人々は、裁きが来ないかのように生きていました。ですが彼らは、その日が、そのタイミングが来たときに滅ぼされてしまった。そして30節、イエス様が再臨する日にも、同じことが起こるのだと言われます。イエス様は警告します。すでに裁きに関しては教えられている中、どのように生きるのか?緊張感を持って、いつその時が来てもいいように、備えていく。いつ来るか?それを知る事が備えるという事ではなく、いつ来てもいいように、自分の生き方を整える。それが大切だと伝えます。

 終わりの出来事を聞くときに、イエス様は人々を「排除したい」「救いたくない」という方ではなく、ずっと一人一人を招かれている方だという事を、忘れてはいけません。その時に向けて私たちは「終わりの時に滅びないように」というような消極的な理由のためではなく、その日を、終わりの日を、主の大いなる輝かしい日、喜びの日として迎えることが出来るように、備え、また一人でも多くの人が、喜びの日として迎えられるように、イエス様の事を宣べ伝えていきましょう。

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