「救いはイエスの恵みによって」

2025年10月26日 主日礼拝説教梗概

聖書:使徒の働き15章1~35節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 今日開いている箇所で起こっていることは、成長を続ける教会の中で起こった大事件です。どんな事件が起こったのか?イエス様を信じて救われ、教会に加えられた異邦人が多くいる教会に、ユダヤからある人々がやって来て「律法を守り、割礼を受けなくては救われない。」と教え始めました。この人々の言葉を聞いたパウロとバルナバはこの人たちと、激しい対立と論争を繰り広げ、簡単には解決しない内容だったので、エルサレムの教会に集まって結論を出すことになりました。ユダヤからやってきた人たちが言っている事は、神の民、ユダヤ人のように生きなければ、救われないということ。「イエス様の十字架の福音だけでは不完全。」と教えています。

 初の教会会議、エルサレム会議が開催され、多くの論争が繰り広げられました。ひとしきり議論がされた後、ペテロが立ち上がり、神様がされたことの確認をしました。すでに異邦人は救われている。聖霊も受けている。神様はユダヤ人、異邦人という違いで差別をしていない。神様が救った人々に、なぜ律法を守らないと救われないと押し付けるのか?それでは神様を試しているのと同じですと。私たちが救われるのは、神様、イエス様の恵みで救われる。何かを守ったから救われるとかではないことを再確認します。神様は、ユダヤ人も異邦人も、同じ恵みを注ぎ、イエス様を信じることで救われるという、一つの福音の言葉によって救いを与えてくださっていたのです。救われるのにはイエス様の十字架だけで充分と確認されました。
  

 ただ、20節で、異邦人も救われた後に守るべき事として、4つの約束事が決められます。ここで並んでいることは、異邦人の文化の中では良く行われている事でありつつ、神様が嫌われることです。救われた人はユダヤ人のようにならなくても良いのですが、異邦人のままの生き方でも駄目です。神の民としての新しい生き方に変えられていきます。

 教会を導いているのは人間ではなく神様です。神様がされた事、聖霊がされたことを確認し、今回の問題は解決へと導かれました。これは私たちにも関わる事です。私たちが救われるのも何かをした結果ではなく、神様からの恵みによってです。イエス様を信じることで救われる。これは変わることがありません。イエス様の十字架の出来事が、私たちを罪から救い、神の民、神の子とされる唯一の方法です。

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