「あと1年」
2025年2月23日 主日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書 13章1~9節
説教:安藤友祥主任牧師
エルサレムへの旅をつづけるイエス様の元に、数人の人々が血生臭い報告を携えてやってくることから、今日の出来事が始まります。エルサレムで起こった惨殺事件。そのことを発端として、イエス様は12章で語られてきた事のまとめを語られます。
ここで報告された事件と、この時のイエス様には関連がありました。イエス様もガリラヤ人として見られ、そしてエルサレムへの巡礼の旅の中にいると見えます。イエス様もエルサレムに行くならば、同じ目にあうかもしれない。そのような心配から、忠告ともとれる報告をしに来た人々だったかもしれません。
今回のような悲惨な出来事が起こった時、それは、その被害者が罪を犯してきた結果として考えられる考え方がありました。罪深いガリラヤ人だったから、殺されてしまった。そして、そのように考える時に、頭の中にあるのは、『被害者は自分よりも罪深い人物』と言う考え方です。人と自分を比べて、あの人よりも自分の方が大丈夫。あの人の方が罪深いという目で人を見る。そのように人々が考えているのをイエス様は見抜き、それは真実ではないのだと新しい視点を持ち込み、教え始められます。その人が特別悪いとかではなく、悔い改めないなら、みんな同じように滅びるのだと。「自分は大丈夫」と言う考え方が大丈夫ではないのだと教えられます。
6節からイエス様は、たとえ話を通して人々が置かれている状況を知らせます。悔い改めが必要な状況は変わらない。そして悔い改めの実と言えるものが見えない状況。神様であるイエス様が人として来られ、しるしとも言えるような出来事を行い、神の国に関して教えてもいる。だからイエス様は群衆に語り掛けるのです。「どうして今の時代を見分けようとしないのか」と。神様との和解が必要なのだと。
神様が求めている実を実らせるためには、神様のみことばを聞き、それをしっかりと守り、忍耐した結果、実を結びます。私たちが実を実らせるには、神様の言葉に聞くことから始まります。イエス様は神様との和解の必要性、実を結ぶことの大切さを語られ、その期限が迫っているとたとえ話で語られました。この時、神様との和解の必要性、緊急性を教えられたイエス様は、私たちが神様との和解に必要な犠牲となるために、危険な街エルサレムに向かわれています。
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