「狭き門はまだ開いている」
2025年3月9日 主日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書 13章22~35節
説教:安藤友祥主任牧師
エルサレムに向けて旅を続けるイエス様。そんなある日、イエス様に質問をする人物が現れます。「主よ、救われる人は少ないのですか。」彼が気にしているのは、救われる人の多い少ない。救われる人数です。けれども、イエス様は数については答えず、どのような状態の人が救われるのか?という、個人個人の状態、状況に目を向けさせる答えを語り始めます。
「狭い門から入るように努めなさい。」と教えるイエス様。到来した神の国に入るために必要なことは、悔い改めと信仰です。ユダヤ人もみな悔い改めなめれば救われない。そのままでは滅びが待っている。正しいと思って生きて来たこれまでの生き方。その生き方を根本的に変えなくてはいけないと言われるならば、大きな迷いと悩みが生じるのではないでしょうか?ではなぜ悔い改めなくてはいけないのか?これまで自分で良しとしてきた生き方。それが実は神様に逆らい、神様の敵として生きて来た、罪の支配の中に生きる生き方だった。救いが無いならば、先に待つのは滅びだからです。だからこそ悔い改め、新しく生き直さなくていけない。そのような決断をイエス様はここで迫っています。今はまだその門は開かれている、入れる状態。けれども、入ろうとしても入れなくなる時がやって来るのだとイエス様は教えます。この狭き門は、時が来ると閉じられてしまう。門が閉じた後では、もう間に合わない、遅いのだという緊張感。自分で「今じゃない、いずれなんだ」といつかのタイミングまで取って置こうと自分で考えていたとしても、戸を閉じるのは神様のタイミング。自分でコントロールできる領域ではないのです。だからこそ、イエス様はこの質問をしてきた人に、そして周りにいた人々に問いかけ、確認しているのです。あなたたちは今、神の国に入れる状態ですか?神様に悔い改め、和解をしていますか?御言葉に聞き、実を結んでいますか?と。ただ、今、一つ言えることは、このいつか閉まってしまう戸が、今はまだ開いているという事です。言うなれば、今は主が悔い改めを待っておられる恵みのタイミングなのです。まだ扉は開いている。だからこそ、「今、神様に悔い改めるのです」とイエス様は招くためにも、この話をされたのではないでしょうか?この質問をした彼も、イエス様の話を聞いた人々も、イエス様からの悔い改めへの招きの機会を逃してはいけないのです。
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