「イエス様を覚えるために」

2025年4月6日 主日礼拝説教梗概

聖書:ルカの福音書 22章7~34節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 ユダによる裏切りの記述で始まる22章。イエス様は、この過ぎ越しの食事を弟子たちとすることを切に願っていました。通常、過ぎ越しの食事は、家族が集まって食べる食事。けれどもイエス様は自分と弟子たちを集め、過ぎ越しの食事を食べる。そして、一つの杯から分けて飲むという、特別な親密感を覚える食事の持ち方をされました。また本来ならば過ぎ越しの出来事、神様がされたみわざが教えられ、それを記念する食事としての役割を強調します。ですが、イエス様は伝統的な言葉ではなく、新しい言葉、教えを弟子たちに語り始めます。このパンはイエス様のからだだということ。そしてイエス様を覚えて行いなさいと言う命令が与えられます。さらに20節からは杯の出来事が行われ、イエス様は「あなた方のために流される、私の血による新しい契約です。」と教えます。

けれども、この食卓に裏切る者が居るとイエス様は突然言われ、さらに続くペテロ達へのサタンからの攻撃の予告。ユダを裏切らせることに成功したサタンは、この食卓に集っている他の弟子たちにも、同じように誘惑する。つまり、ユダだけではなく、この食卓にイエス様と居たすべての人物が、イエス様を裏切る可能性がある人物でした。これまでのルカの福音書の食事の場面でもそうだったように、ここでも集まっているのは罪人であり、そこには、イエス様からの招きとチャレンジがあります。

 イエス様はペテロのために祈られました。信仰のふるいにかけられないようにと言う祈りではありません。弟子たちがふるいにかけられる事実は避けられない。けれども、イエス様は、ペテロの信仰が無くならないように祈ってくださった。イエス様のとりなしの祈りでペテロが立ち直ったように、とりなしの祈りには力があることを教えられます。

 イエス様は「これを行いなさい」と、まず食事をする事、私たちが同じように体験することを教えられました。実際にイエス様を覚え、記念して、分かち合って食べる。そのことに大きな意味があることを体験します。イエス様の救いの出来事。結ばれた新しい契約を記念して食べます。不完全な私たちを、間違いを犯す私たちを、揺さぶられる私たちを、主は食卓に招いてくださる。そしてパンと杯を食べる時に、私たちは思い出します。私たちは、すでにイエス様によって救われている、解放されている事実を。

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