「王の帰還」
2025年11月9日 主日礼拝説教梗概
聖書:使徒の働き19章11~27節
説教:安藤友祥主任牧師
旅の終わりが近づく中でイエス様が言われた「今日、救いが」ということば。「人々は神の国がすぐに現れると思っていた」とあるように、イスラエルが勝利する時が来ると期待する人々。イエス様は、たとえを通して人々の期待とはまた違う出来事だと教えられようとしています。
たとえの主人公は王位を受けるために遠い国に旅立つとき、しもべたち10人に1ミナずつ預けます。14節には主人の王位を拒もうとする不穏な反対者の姿も登場します。反対者の行動もある中、王位を授かって戻って来る主人。主人が国の人々に嫌われているという苦難の中、しもべたちは預けられたミナを用いて帰りを待っていました。1ミナを元手に10ミナ稼いだしもべは10の町を支配するように任命されます。20節。流れが変わります。別のしもべは出て来て預けられた1ミナをそのまま主人に返します。彼は主人の事を恐れ、預けられたものを布に包んでしまっておきました。このしもべは与えられた責任、役割を自覚出来ていません。最低限の事すらしない。主人はこの者をさばきます。
このたとえの解釈として、『イエス様の再臨』に関連して読む読み方があります。やがて完成する神の国の成就のために地上を去って行くイエス様。イエス様の弟子たちはイエス様から受け取ったものを用いて再臨を待つ。テオフィロをはじめ、教会の人が、再臨はまだか?と待っている状況。再臨は来ないのではなく、今は遠くに行っているが、必ず、王位を受け取って帰って来る。それを励ますためにも語られたと読みます。同時に、この福音書の中で起こっている出来事の説明としても読むことが出来ます。イエス様は、もう間もなくエルサレムに到着されます。エルサレムに、まことの王であるイエス様が戻って来られる。この時のイスラエルの状況、信仰を確認し、さばくためにも来られたと読めます。また、14節で主人に対する敵対者が居たように、イエス様にも敵対者がこれまでにも登場しています。これからイエス様が体験する受難を思い起こさせます。
たとえに目を向ける時に、主人を取り巻く様々な立場人々が居ます。王として来られるのを反対するのか?間違った認識で従っているのか?主人を憎む人が居る環境でなすべきことを果たすのか?私たちはどの人々に自分を置くのでしょうか?
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