「神を味わう歩み」

2026年1月4日 主日礼拝説教梗概

聖書:詩篇34篇

説教:安藤友祥主任牧師

 1節、ダビデはあらゆるときに神様をほめたたえます。それは順調な時も、苦難の時も、分け隔てなく神様をほめたたえるということ。この世界のあらゆることに働くことが出来る神様を、そうでないかのように、自分の判断や線引きで決めて行ってしまう事があるかもしれません。1節の言葉を「条件付きの『あらゆるとき』」として読む自分がいると言えます。神様には全領域を持って行ってもよいのだとダビデは賛美で示します。

 4節からは、なぜ神様が賛美されるべき方であるかを教えてくれます。4節冒頭「私が主を求めると主は答え」ダビデが祈る時に、神様が聞いていてくださり、そして答えてくださったという経験を重ねていました。ダビデは神様を苦しむ時に助けてくださる、人格的な関りを持つことが出来る方だと、自分の体験から証しています。だからこそダビデは8節で、この神様を「味わい見つめよ」と個人的な体験へと招いています。神様は良いお方だから、信頼できる。もし、神様がそうでないならば、私たちは安心して自分の悩み、不安、問題、課題を神様に「介入してください」と祈れません。主は良い方だから、苦しみの中で助けを求めてもよいのだとダビデは確信しています。

 18節。神様は心が打ち砕かれた者の近くにおられる方だと教えます。弱り果てた者を救ってくださる方です。ここまでのダビデの言葉から気が付くことがあります。ここでダビデが教えている神様は、苦しみの時に助けてくださる神様。困難の時に救い出してくださる神様。苦難の時に身を避けるべき方だという事。つまり、神様を見上げ、神様をほめたたえていても。神様を信頼していても、苦難は変わらずにやって来るという事。神様に従っていても、苦難のある人生からの解放は無いという事です。ここでダビデは迫ります。あなたが生きたいのは、苦しみを体験しない生き方か?それとも苦しみはあるけれども、その苦しみの中で神様の助けを経験していく生き方か?と。私たちは、神様が助けてくださるからという、ダビデが体験した経験を「自分も」と助けて下さる神様に信頼して行動に移していきたいと願います。私たちの主である神様は「いつくしみ深く」「良いお方」だという事です。そのことを忘れる時に、息苦しくなります。良いお方だから、私たちは信頼出来ます。

 

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