「イエスの権威」
2026年1月11日 主日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書20章1~19節
説教:安藤友祥主任牧師
私たちはこの箇所を通して「自分と権威との関係」また「どのような権威に従っているのか?」を確認させられます。
神殿で人々を教えているイエス様のもとに、祭司長、律法学者、長老たちと、イエス様がされた最初の受難の予告で名前が挙げられていた人々が、ここに登場しています。彼らはイエス様が何の権威でそのことをしているのかと問いただします。ここで彼らが言った「なんの権威があって」という言葉。聖書の中だけではなく、私たちの生活の中でも聞く表現ではないでしょうか?やって来た指導者たちは、自分たちこそが、神殿での権威、権限、立場を持っていると確信してやってきています。彼らからすると、イエス様は何の権威も持っていないのに、自分たちの領域で勝手なことをする。彼らは彼らなりに、秩序を守るためにやってきています。権威の源を確認されたイエス様はバプテスマのヨハネの事を引き合いに出し、質問返しをします。困ったのは指導者たち。彼らは、間違った答えをする心配よりも、正しい答えを言う事で被る被害を想定して悩みました。結果として指導者はイエス様の質問に答えられませんでした。
イエス様はぶどう園のたとえを話されます。指導者たちは、自分たちに対する批判として受け止め、イエス様に対する敵意を燃え上がらせます。あくまでも彼らが中心に考えているのは、自分の保身です。指導者たちは、どのような権威に活かされ、どのような権威を支えにしているのでしょうか?神様の権威に従っているようで、実際はそれを感じさせないからです。ルカ4:6には悪魔が与える権威について書かれています。イエス様の権威を問いただしている指導者たちは、この悪魔が誘惑したこの世の権威にしがみついている姿を見せています。
この箇所の中で私たちは指導者に重なります。主のことばを受け取り、生かされている私たちは、福音の管理者としての立場や役割も受けています。指導者たちを見る時に、彼らは、自分が安心するために、守るために、預けられたものを用いた姿を見せます。では私たちは、どのような権威のものと、預けられたものを、どのように用いようとしているのでしょうか?イエス様はご自分の権威をもって、人を救うために歩まれました。私たちに与えられているのは、人を生かすための権威と役割です。
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