「神の測り方」
2026年2月1日 主日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書20章41~21章4節
説教:安藤友祥主任牧師
本日開いている箇所は、神殿でのイエス様の教えを通して、人間の測り方と神様の測り方の違いが示されている箇所です。ますイエス様は、当時一般的であった「キリストはダビデの子」という理解に問いを投げかけられます。これは間違った理解ではありませんが、救い主を人間的な枠の中で小さく捉えてしまう危険があります。イエス様は詩篇110篇を引用し、ダビデ自身がキリストを「私の主」と呼んでいることを示されました。キリストはダビデの子であると同時に、ダビデが従うべき主、神様ご自身から権威を与えられた存在なのだと教えられます。
続いてイエス様は、弟子たちに向かって律法学者たちの姿勢について警告されます。律法学者たちは、人々からの挨拶や尊敬を求め、良い席を好み、信仰深さを装って長く祈っていました。しかしその一方で、弱い立場にあるやもめたちを顧みず、むしろ苦しめていました。人からの評価によって自分の価値を確かめようとする生き方と、神様の前での真実な姿との間には、大きな隔たりがあることが示されます。そして律法学者のように生きるものには厳しい裁きがあると教えられます。
その直後の出来事が21章に書かれています。イエス様は献金箱の前で、一人の貧しいやもめに目を留められます。金持ちたちが多額の献金をする中で、彼女はわずか二枚のレプタ銅貨を献げました。金額としては取るに足らないものでしたが、イエス様は彼女こそが最も多く献げたと言われます。神様は外から見える量ではなく、どれほど神様に信頼し、委ねているかをご覧になるからです。
同時にこの出来事は、本来弱者を守るべき神殿において、搾取が起きている現実への嘆きも含んでいます。当時何万人もいたイスラエルの中でイエス様が注目するほどの信仰を持っていた貧しいやもめ。すべての人が同じ献身を求められているわけではありませんが、神様の測り方に生きる招きは、今も私たち一人ひとりに向けられています。私たちは何をささげられるのか?を祈りの中で探られます。何よりも、神であるにもかかわらず人として来られ、十字架の死にまで従われたイエス様。それこそすべてを捨てて私たちを愛されたイエス様に目を向けつつ、その恵みに応答する歩みへと招かれているのです。
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