「誘惑に陥らないために」

2026年3月22日 主日礼拝説教梗概

聖書:ルカの福音書22章39~53節

説教:安藤友祥主任牧師

 今日の箇所は、主の祈りにある「試みにあわせず、悪より救い出したまえ」という祈りが、どのような現実の中で必要なのかを具体的に示しています。なにより、祈り無くして誘惑に勝つ事は出来ないことを私たちに教えます。

 最後の晩餐を終えたイエス様たちは、いつものように祈るため、オリーブ山へと向かいます。そして弟子たちに「誘惑に陥らないように祈りなさい」と命じ、イエス様ご自身もひざまずいて祈られました。それは切迫した祈りであり、「この杯を取り去ってください」と率直に願いつつ、「しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように」と神様に委ねる祈りでした。祈りとは、自分の思いを正直に差し出しながら、それを神の御心に明け渡していく営みです。

 けれども弟子たちは、祈りつつ待つことができず、悲しみの中で眠り込んでしまいます。そして祈れなかった結果、誘惑に耐えられず、イエス様が望まない暴力によって状況を解決しようとしてしまいます。祈りを欠いた弱さが、具体的な失敗として現れてしまいました。さらに弟子たちは、これまで見て、聞いてきたイエス様の教えを、肝心な場面で実行できませんでした。そこに人間の弱さがはっきりと現れています。一方でイエス様は、祈りの中でみこころにとどまり、逮捕の場面でも非暴力を貫き、落ち着いてその時を受け止められました。祈りは私たちを強くするというよりも、神様のみこころにとどまらせるものです。

 ルカは、40節、46節にある弟子たちへの「祈りなさい」という言葉でイエス様の祈りを挟む構造によって、42節に書かれている祈りの重要性を強調しています。私たちもまた、試練や誘惑の中で簡単にイエス様から離れてしまう弱い存在です。だからこそ、「試みにあわせず、悪より救い出してください」と意識して祈る必要があります。弟子たちと同じ弱さを持ち、祈れない私たちのためにイエス様は祈り、なお見捨てず導いてくださいます。この主の歩みによって私たちは救われました。その恵みに感謝し、こたえて、私たちも日々の中で祈りつつ、みこころに従う歩みへと導かれていきましょう。

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