「最後の晩餐」
2026年2月22日 主日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書22章1~23節
説教:安藤友祥主任牧師
今日開いている箇所には、大きく三つの流れがあります。第一に、イエス様に敵意を抱く宗教指導者たちの計画。第二に、過ぎ越しの食事の中で聖餐式が定められる場面。第三に、弟子の一人が裏切ると予告される場面です。敵意と裏切りという暗い出来事の間に、主の食卓が置かれていることがとても印象的です。
指導者たちはすでにイエス様を殺すことを決め、方法を探していました。しかし民衆を恐れて手を出せずにいたところ、弟子のユダが協力を申し出ます。ユダはイエス様の行動をよく知っており、指導者たちはその申し出を喜びました。
一方イエス様は、過ぎ越しの食事をとても大切にされました。過ぎ越しは、昔イスラエルの民がエジプトの奴隷状態から救い出されたことを記念する食事です。その席でイエス様はパンを「わたしのからだ」、杯を「わたしの血による新しい契約」と過ぎ越しの食事に新しい意味を与えられました。これは、これから起こる十字架によって、新しい救いが与えられるという約束です。聖餐式は、その救いを思い出し、確かめるために与えられました。
しかしその食卓で、弟子の裏切りが告げられます。過ぎ越しの食事という親しみを込めた交わりの場での、まさかの予告です。弟子たちは「まさか自分では」と考えました。そして、この箇所には、ユダが裏切るに至った明確な理由は書かれていません。それは、私たちも決して油断できないことを示しています。私たちは、その理由が自分に見つからないならば、自分は大丈夫、安心としてしまうからです。悪魔は私たちを神様から引き離そうとします。様々な手を通して、私たちの神様への信仰を揺さぶり、信頼を失わせようとします。信仰が不安になる時、私たちは自分の力に安心を求めがちですが、本当の救いの土台はイエス様の十字架にあります。そのことを思い起こさせるためにも、イエス様はこの危機的状況の中、聖餐式を私たちのために定められました。
この箇所は、敵意と裏切りという出来事に挟まれるように、聖餐式の制定が書かれています。裏切られると知りながらも、イエス様は愛をもって食卓を備えられました。苦難や敵意の只中にあって、私たちに愛を示されたイエス様の姿があります。私たちも聖餐を大切にし、十字架の恵みに立ち続け、再び来られる主を待ち望みつつ歩んでいきましょう。
投稿者プロフィール




