「二つを一つに」

2021年8月8日礼拝説教梗概

聖書:エペソ人への手紙2章11~18節

説教:安藤友祥主任牧師

2章前半は普遍的な人類の状態、悲惨さ、救いについて書いたパウロ。2章後半では、異邦人に対して特に目線を向けさせます。前半同様に救われる前の悲惨さについて触れ、そこにイエス様によって救いがもたらされたという事。 パウロは「かつて」の状態としてイスラエル人と異邦人の違いについて列挙していきます。ここでパウロが挙げている5つの要素。イスラエル人から見た異邦人たちは、神様の民という視点に関しても、神様との契約という点に関しても、その外側にいる遠い存在という状態でした。 かつては遠く離れていた私たちと神様との距離。それがイエス様の血によって近くなった。私たちが近づいたのではありません。キリストの血によって近づけていただけたのです。イスラエル人も、異邦人も、イエス様の出来事が無ければ救われることは無いのだと念を押しているのです。異邦人専用、イスラエル人専用の救いがそれぞれ用意されたのではなく、悔い改めと信仰によって神様に受け入れてもらえる。救いが与えられる。全ての人が同じ方法で同じ救い、祝福、恵み、特権を受けています。 平和とは神様が与える秩序です。イエス様がもたらした平和、秩序の中、神様は新しい神の民とされた人々と平和の関係を楽しんでおられます。敵意を越えて二つの民族が一つとされて信仰共同体として同じ神様を礼拝する。歴史や文化的文脈を考えると奇跡と言える出来事が教会で起こっています。イエス様は、ご自身の体を通して和解させられたゆえに、イエス様が教会と神様の、そして教会での平和の基礎です。キリストの内に入れられる事によって一つにされ、キリストを通してかつて敵対していた二つのものが一つの御霊によって父なる神様に近づく。この教会において実現する、神様の平和。キリストにある和解の実現を通して、神様の栄光をほめたたえるのです。教会外では一つになる、和解が難しいと思う事が、教会の中、神様によって和解があり、様々な違い、壁を越えて一つとなる。神様はそのような奇跡の実現の場として新しい神の民、教会を創造されました。

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