「義のために迫害される幸い」

2021年3月7日礼拝説教梗概

聖書:マタイの福音書 5章10節~12節

説教:安藤能成主任牧師

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」 (マタイ5:10)

 

 このみことばは二とおりの意味に読み取ることができます。一つは11節、12節を含む読み方で、義なるキリスト・イエスを信じる信仰のために迫害されるということであり、もう一つは正義のために迫害されるというものです。

 キリスト信仰のために迫害された人々はたくさんいます。使徒時代から現代に至るまで迫害があり殉教者がでました。最初の人はステパノでした。ヘブル書11章後半には激しい迫害を受けた人々のことが書かれています。それとともに「神は私たちのために、もっとすぐれたものを用意しておられたので」とあり、それが天の故郷であることが示されています。

 この国でもザビエルたちによって福音を聞いた人々すなわちキリシタンがキリスト信仰のために殉教しました。当時の教会では殉教教育というものが教えられていました。殉教はもっとも崇高な信仰者の歩みであるというものです。近年では第二次世界大戦の最中昭和17年頃に治安維持法によって信仰の為に検挙され、投獄された牧師たちがいました。国家は追いつめられると思想統制を画策します。その空気は政府だけでなく一般市民にも波及します。

 次に正義のために迫害されることについてです。この世の組織では正しくない方法で物事を進めていくこともあります。それに加担させられて悩み、自ら命を絶った人がいました。正義を貫こうとした善意の人が迫害されたのです。

 主イエスは「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます」といわれます。多くのことは正義に基づいて行われています。しかし小さな不正が社会をだめにしていくことです。権力とは恐ろしいものです。権力を守るためならば何でもするということです。神は私たちがどのように行動するかを見ておられます。正義と真実に立つことはときに苦しいこともあります。しかしそれは大切なことです。

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