「恵みを待ち望む」
2024年6月16日礼拝説教梗概
聖書:ペテロ第一の手紙 1章10~13節
説教:安藤啓子牧師
この救いは、旧約時代にも多くの人々の関心事でした。聖霊の導きの元に、旧約の預言者たちは、メシヤの受難について預言し、それがどのような時をさして言われたのかを熱心に尋ね、細かく調べました。彼らの預言は、イエスから送られた聖霊の「キリストの霊」によって霊感を受けたものであり、彼らの言葉に権威があり、正確であることを示しています。「キリストの苦しみとそれに続く栄光」の救いが、イエス・キリストにおいて成就したことで、「イエス様を信じ、預言が成就した時代に生きることがどれ程大きな恵みなのかを説くペテロ。
13節の冒頭にあります「ですから」とは、これまでペテロが語ってきたことを受けての勧めであり結論です。この救いは、神様の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが十字架に架かって死なれ、その死の中から甦られたことによってもたらされた救いです。この救いに与った者が、新しく生まれ変わった事によって、生ける希望を持つようになりました。
けれども、この救いはまだ完成していないのです。この救いが完成するのは、私たちのからだが贖われ、朽ちないからだ、栄光のからだに復活する時です。それは、イエス・キリストが再び来られる時、すなわち再臨の時にもたらされるものです。そのときもたらされる恵みを、ひたすら待ち望む三つのことが勧められています。
第一は、心を引き締めるということ。イエス様が来られ、神様の怒りから私たちを救って下さるのですから。しっかりと心を引き締め、イエス様がいつ来られてもいいように備えていなければなりません。心の帯を締めていましょう。
第二は、身を慎むということ。「身を慎む」とは、私たちは問題が起こるとすぐに心を騒がせ、慌てふためく者ですが、そのような時でも冷静であるように。用心深く、慎重でいるようにと。
第三は、ひたすらイエス・キリストの再臨を待ち望むことです。なぜなら、イエス・キリストを信じて、たましいの救いを頂き、神の子とされた私達ですから。たとえ死んで灰になっても、やがて復活の新しいからだを頂き、イエス様と同じ姿となって、天において永遠に生きることができるのです。この希望をひたすら待ち望まなければならない私たちに求められているのは、唯一つ。神様に祈ることです。
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