「神の民の特権」
2024年9月29日礼拝説教梗概
聖書:ペテロ第一の手紙 2章4~10節
説教:安藤啓子牧師
はじめに、私たちが御言葉を求めるのはどうしてなのかというと。みことばによって「主が恵み深い方であること」を、既に味わい知っているからです。
今日の聖書箇所には、神の民に与えられている特権が多く記されています。一つの特色は旧約聖書との関連が多い事です。初めに4節:ペテロは、単刀直入に「主のもとへ来なさい」と呼びかけています。この主は、どういうお方なのでしょうか?主は、私たちの罪も咎も赦してくださり、悲しみも、心の重荷もすべて受けとめてくださいます。そして安らぎを与えてくださるだけでなく、新しいいのちを与え、天の御国の民としてくださいます。そして、希望をもって人生を歩めるようにしてくださるお方です。
また、彼らは「聖なる祭司」として「霊のいけにえ」をささげるようになると。この「霊のいけにえ」は、自分の礼拝として神に私たちのからだをささげること(ロマ12:1)、まさにこれが献身なのです。そして、賛美のいけにえや善を行うことなど。「霊のいけにえ」は「イエス・キリストを通して」ささげられなければならないと勧めています。なぜならクリスチャンたちは、イエス様を通してのみ、神様に対して祭司であることと、神様の御前に喜ばれることをする資格が与えられるからです。
8節:ペテロはそれから「彼らがつまずくのは、みことばに従わないからであり、また、そうなるように定められていたのです」と、語っています。ペテロがこのように述べた目的は、読み手を慰めるためです。ここでペテロは、キリストの拒否と彼らキリスト者達に向けられる敵対的な不信は、神様によって予告されていたこと。その敵対的な不信は、それが向けられているキリスト者達を震え上がらせるべきものではない。なぜなら彼らの父なる神様は、そうしたものすべてをご自分の支配下に保っておられ、ご自分が最善と思われる時に終わらせられるからです。
彼らも私たちも主のあわれみによって、神の民とされている者たちです。このような私たちの責務は、「私たちを、闇の中から、ご自身の驚くべき光の中に招いてくださった方のみわざを、私たちが宣べ伝えるためです。」その働きに携わってまいりましょう。
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