「キリストにならう」

2024年12月29日礼拝説教梗概

聖書:ペテロ第一の手紙 3章8節

説教:安藤啓子牧師

 

 3章8節は、神様の愛によって贖われたクリスチャンたちに、神様が彼らに求めておられることが記されています。

 この五つの心構え、「一つ思いになり」「同情し合い」「兄弟愛を示し」「心の優しい人となり」「謙遜でありなさい」は、キリストにならう者として目指す、クリスチャンとしての具体的な道標なのです。しかし、これらは自分の努力で達成できるものではありません。自分の力で実行しようとすると、必ず壁に突き当たります。でも、ここで味わう「できない」という経験自体が、実は恵みの一部なのです。なぜなら、それは私たちをキリストに向かわせるからです。キリストに向かう中で、私たちは自分の不完全さを痛感します。しかし、この「気づき」は、否定的なものではありません。それは、キリストの恵みの必要性を教えてくれる贈り物なのです。

 ここで重要なのは、自力での改善を目指すのではないということです。むしろ、自分が握りしめているものを、イエス様に明け渡すこと。その時、主が私たちの弱さを通して働かれるのです。そして、驚くべきことに、私たちが自分の無力さを認め、キリストに委ねるとき、思いがけない変化が起こり始めます。それは、まるで気づかないうちに、聖霊が内側から私たちを変えていってくださるものです。これこそが、真の「証し」となるのです。

 今日から、私の私たちの視線を自分の弱さから、キリストの完全さへと移してみませんか。私たちの人生の主役は、実は私たちではなく、主イエス・キリストなのです。このことを覚えるとき、私たちは新しい自由と喜びをもって歩み始めることができます。なぜなら、「私たちの信仰の創始者であり完成者であるイエス」(ヘブル12:2)様が、必ずご自身の良い働きを完成してくださると約束されているからです。

 さあ、みなさん。この瞬間から希望をもって主とともに前進致しましょう。私たちの弱さは、キリストの力が完全に現れる場所となるのです。完成に向かう旅は、決して孤独な歩みではありません。主が共にいて、一歩一歩を導いてくださいます。その確信をもって、今日も喜びをもって歩んでいきましょう。ハレルヤ!

投稿者プロフィール

setachu
setachu