「真の希望を伝えよう」

2025年2月16日礼拝説教梗概

聖書:ペテロ第一の手紙 3章13~17節

説教:安藤啓子牧師

 

 キリストの証人として、真の希望を伝えるための三つの態度とは①「いつでもどこでも、善を行うこと」②「いつでもどこでも、キリストを主として、聖なるお方としてあがめること」そして、人々は聖書のみことばに躓くというより、クリスチャンの態度に躓くのです。だから③「誰にでもいつでも柔和な心で優しく、恐れつつ、謙遜に健全な良心をもって証しする」ということが大事です。証しは、聖霊ご自身が静かに聴き手の魂に働きかけ、みわざをなしてくださるのを信頼してなすこと。

 そのあなたがたの正しい善良な生き方と口での証によって、相手も恥じ入るというペテロ。ここで、敵対する者たちが恥じ入ると言う希望は、彼らの恥自体が良いと言っているのではなく、それが結果的には彼らの中傷を沈黙させることになり、後には彼らが福音に思いを巡らし、信じるようになることを示唆しているのです。

 また、キリストを口で証しするときに、心の中でキリストを主としてあがめる、聖なる方とするということが無くてはならないのです。キリストは「人の前でわたしを知らないという者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者を知らないと言います」(マタイ10:33)。もし、イエス様をあがめる心がないのならば、こうなるでしょう。

 そして、イエス様をあがめる心で口を開くならば、イエス様は御霊を通して語るべきことばを備えてくださるのです。私たちは弁明の用意が出来ていると言っても、時と場所と相手の違いによって、アプローチとか語る内容が変わって来るものです。私たちが心をキリストに向ける時、知恵を与え、ことばを与えて下さるのではないでしょうか。また人を救いに導くのは、私たちの説得力ではありません。それは、キリストのお働きなのですから、私たちはキリストに心を向け、キリストをあがめることは欠かせません。ですから私たちは、主の豊かなあわれみによって、心の中でキリストを主としてあがめるという事を習慣化したいですね。そして、真の希望を伝えるチャンスが来たら慌てず、聖霊の神様の導きに委ね、安心して証人として用いて頂きましょう。

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