「残された時間をどう過ごすか?」
2025年3月16日礼拝説教梗概
聖書:ペテロ第一の手紙 3章~18節~4章6節
説教:安藤啓子牧師
今日の箇所の主題は、イエス様の苦しみがキリスト者に対する模範であり、慰めであるということ。アダムとエバの罪の結果、全ての人が神から離れて生きているのが現実。だから私たちが、神様に近づくことは困難な事です。それを可能としたのが、イエス様ご自身の苦しみによってでした。キリストも一度、罪の為に苦しみを受けられました。これは、正しい方が正しくない者たちの身代わりに、死さえも受けて苦しまれたことを伝えます。これはイエス様が十字架の上で、私たちの罪の罰を背負い、私たちの代わりに身代わりの死を遂げて下さったという事です。何のために主はそこまでしてくださったのでしょうか?イエス様を救い主と信じる信者を、神様のみもとに導くためにです。
バプテスマの意味でペテロが強調したいことは、水による洗いの出来事よりもむしろ、その前になされる神様の前における誓約の大切さです。バプテスマは、健全な良心が神に対して神と会衆との前に行う誓約。しるしです。バプテスマが霊的な意味があるのは、聖霊の助けと導きの中で、神様の前に、良心に従って信仰告白がなされることです。この信仰告白が、神様の前に尊いのです。その告白、誓約があって初めて、バプテスマの水には意味があるのです。
「残された時をどう生きるのか?神様のみこころに生きる」と応じたい。人間は、神様に出会わなければ誰しもが、自分の考えこそが一番。これを基準として万事の良し悪しを決めつける者です。でも、聖霊によって導かれて罪を知り、悔い改めれたので、救いの恵みに与れたのです。そして、今までの古い生き方の自分は変えられて、新しく造りかえられました。ですから、新しくされた者に相応しく生きたいと願わされます。少しでも神様に喜ばれる生き方を、日々の中で選び取れるように励みたい。そこに主のあわれみと御目をかけ導いて下さる神様の臨在を覚えることが出来る。実際がどんなにダメダメでも、主が共に歩み続けていてくださることを知る。そこには主の平安が豊かにあることの恵みを味わえる。だからこそ願わされる、残された時間を神のみこころに生きることを。神様から与えられている恵みの信仰を、健全に保つことが出来るようにと。日々祈って主と共に歩み続けることを。
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