「歓喜にあふれて喜ぶために」

2025年4月27日礼拝説教梗概

聖書:ペテロ第一の手紙 4章12節~19節

説教:安藤啓子牧師

 

 強くなっていく迫害の炎の中、戸惑っている教会。ペテロはそれを不審に思ってはいけないと伝えます。今体験している試練、迫害は、予想外の出来事が起こっているのではないのだと。ペテロはイエス様に従う時に、苦難を経験するという事を体験していました。同時に、その試練の度に神様の臨在、助けを体験してきたペテロだからこそ、教会に伝えたいのです。キリストに従うゆえの苦難に与っているならば、それを喜びなさいと。苦難の時に喜ぶことは人間は出来ません。けれども、その苦難の先にあるものを見据えて、先にある勝利を見据えて、喜ぶのです。

 またキリストの名のゆえに罵られているならば、その時に、聖霊があなた方とともにいるからだと、主の臨在の約束を語ります。ののしられているまさにその時に、神様は遠く離れておられる神様ではなく、神様の御霊、助け主である聖霊が私たちの上にとどまっていてくださる。支えてくださるからです。ペテロはここで、迫害や罵りと言った、出来れば体験したくない事を、ただの嫌な出来事として終わらせるのではなく、イエス様に従うゆえのそれら試練は、結果として、一人一人の信仰を洗練する、鍛え上げる、より強い信仰へと導くものとして働くのだと教えています。

 15節からペテロは、それまでの迫害や罵りとは、また違った苦しみに私たちの目を向けさせます。ペテロが教えるのは、主に従うゆえに体験する苦しみではなく、自分の罪の故の刈り取り、苦しみです。それらは味合わなくてもよい苦しみと言えます。そうではなく、むしろキリストの故の苦しみの中、神様をあがめなさないと教えます。ペテロは、苦しみの中にあっても神様から離れない、イエス様に従い抜く信仰を握りしめることが出来るようにと励ましています。普通なら思いもしない、苦難を喜び、苦しめられるときに神様をあがめる生き方。人が驚くような在り方が、イエス様によって救われた人の、新しい命を受けた人の生き方です。

 神様は真実な方であり、この世界の創造者です。神様はすでに、イエス様をよみがえらせ、先にある勝利と栄光の約束を与えてくださっている。だからこと、私たちは、その事実に、信頼し自分のたましいを委ねることが出来るのです。私たちの信仰の歩み、その先にあるのは、キリストの栄光が現れる時に、歓喜にあふれて喜ぶという約束です。

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