「救いの日と主の愛」

2025年8月31日礼拝説教梗概

ゼパニヤ書3章1~20節

説教:安藤啓子牧師

 

 本日の聖書箇所に、旧約聖書の小預言書のゼパニヤ書を選びました。このゼパニヤの時代はヨシヤ王の以前のマナセ王とアモン王による悪政によって、宗教的にも道徳的にもとても暗い時代でした。ヨシヤ王はこの様な状況から、真の礼拝を回復させようと立ち上がりました。ヨシヤ王は国内の偶像を取り除き、神殿を修理してイスラエルの神だけを礼拝し、大改革を行おうとしていた時代でした。しかしイスラエルは余りにも堕落しきっていました。偶像礼拝は民の生活のなかに、すっかり定着していたのです。ヨシヤ王は頑固さのゆえに戦場で死を遂げ、エルサレムとバビロンの対立は厳しくなっていました。
 しかしゼパニヤは、これらのこと全てを予見していました。彼は何年もエルサレムの指導者たちに警告を発していて、この短い預言書はそれを要約した詩を集めたものです。

 イスラエルは荒野の旅を通して、ともにいてくださる神様を知っていました。それなのに、その神様ではない偶像、異教の神様を頼ってしまいました。同じように、神様を知っているとしても、神様に信頼し頼るべき事なのに、他のものを頼ってしまう。それが現代の偶像礼拝になってしまうのではないでしょうか?ゼパニヤは偶像礼拝が盛んなイスラエルを、そして他の神々に仕える異邦人たちが神様によって裁かれると預言をしました。神様の裁きはあります。けれども、そこに悔い改める時にきよめと回復、賛美があることも伝えています。すでに救いを受け、体験した私たちは、告白したように、神様に従う歩みを、主の日まで続けて行けるよう、助け求め祈っていきましょう。

 そして、救霊の祈りをささげて、主のみわざがなされることを信じて待ちましょう。一人でも多くの人と一緒に、主の日を心から喜びと感謝をもって待ち望めますように。

 私たち信仰の共同体が心と思いと信仰を一つにして、祈って一人でも多くの大切な方々に悔い改めて主に立ち返るチャンスをお届けできますように。教会にお誘いできる勇気と真の愛を与えて用いて下さいと、御霊の神様に応援を祈り求めてみませんか。

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