「ただ主のあわれみによって」

2025年9月28日礼拝説教梗概

聖書:エレミヤ書29章1~14節

説教:安藤啓子牧師

 

 今朝は、エレミヤ29章1—14節の捕囚の民に書き送ったエレミヤの手紙を取り上げました。そこでバビロンの捕囚となった者たちに対する神様のご計画と、そこにある神様の思いの深さを知りたいと思います。

「エレミヤに主のことばがあった」(1:2)とあります。一見何気ないように思える表現ですが、ここにある「ことば」は、エレミヤ書において極めて特徴的な単語なのです。その根本的な意味は「行為を伴ったことば」であり、それが上から「臨む」という意味なのです。ですから、「ことばがあった」は「必ず起こる出来事」という意味をもちます。

 このエレミヤ書29章の主題は、バビロンに居る捕囚の民を惑わす預言者とエレミヤとの対決です。エレミヤの手紙の前半は、捕囚の民となっている彼らに、バビロンで腰を落ち着けて生活するようにと勧めています。4-7節は、捕囚の民に対する勧告の主要点が記されていて。8—9節は、偽りの預言者についての警告であり、10‐14節は、帰還は七十年のあとであること、また捕囚の民はその間、神に祈り求め続けるべきだと教えています。

 そして神様は捕囚の民として連れていかれた神様に背を向けて神様の御声にも耳をかさないような罪深きイスラエルの民を忘れることなく、見捨てることもありませんでした。帰って七十年間の時間をかけてあたらしく作り変える為に神の名を呼び求めて歩くようにと。私に祈れと、そして心を尽くしてわたしを探し求めよと。そうすれば必ずわたしを、主を見つけることが出来ると。イスラエルの民への普遍的な愛し方を教えてくださったのです。どこまでも諦めないで覚えていてくださる神様の愛。そこに神様のあわれみ深い愛のお姿を見つけることが出来ました。これは大きな希望です。かけだらけの人間の側がどうであっても、神様のご愛には変わらないという安心と平安。神様がいつも共にいてくださるその将来には大きな希望が見えます。これが神様の平安を与えて下さるご計画だとわかりました。ので、神様を中心とした人生の歩み、これこそ約束された希望の将来だとはっきりと知ることが出来ました。

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