「聖なる方に倣う」

2024年6月30日礼拝説教梗概

聖書:ペテロ第一の手紙 1章13~16節

説教:安藤啓子牧師

 

 

 神様の恵みによって救われ、魂の救いに与れている私たちに、神様は何を望まれるのでしょうか?あらゆる行いにおいて、聖なる者とされなさいということ。その為には、聖なる方に倣いなさいと語るペテロ。

 私たちは神様のあわれみと恵みによって、イエス様を自分の罪からの救い主と信じたときから、父なる神様の御霊が、私たちをキリストに似た者に変えて下さったのです。それは父なる神様のことばに聞き、神様に、イエス様に従うという、神様に対して霊的に従順な子どもにつくり変えて下さっているのです。神の御子であるイエス様が、父なる神様に「死に至るまで」従順であられたので、私たちは誰であっても救いに与れるのです。そして、この神様のご愛を一身に受けて今生かされているのです。生かされている者に相応しく歩めるように。どの様な時でも、神様を神様と信じ、神様の約束のことばを慕い求め、神様を思いっきり賛美し、神様を心から喜び、神様のうちに生かされることを願い求める必要があるのです。

 また神の子とされている私たちに対して、召された聖なる方に倣うようにと勧めます。なぜクリスチャンたちは、聖くあるべきなのでしょうか?私たちが聖なるものとして生きる前に、私たちを救ってくださった、私たちの神様が聖なる方だからです。その神様に救われ、神様に属するものとされているからこそ、私たちは聖でなくてはいけないのです。この聖なる者としての生き方を、実際に神様が人となられたイエス様の生き方に見ましょう。イエス様は、寛容であり親切です。人を妬みません。自慢せず高慢になりません。そして自分の利益を求めません。苛立たず、人がした悪を心に留めません。不正を喜ばずに、真理を喜びます。そして、すべてを耐え、信じ、臨み、すべてを忍ばれました。これらは自分には難しすぎると前途多難の境地に陥るところですが、私たちは神様によって救われ、変えられているただ中に置かれているのです。求めるならば神様が力となって下さり、与えられます。ですから私たちに求められているのは、もっと神様のご愛と力を信じ切るという事なのです。私たちは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望んで、主なる神様とともに歩ませて頂きましょう。